正宗白鳥(5月)
2018年5月28日
小 澤 英 明
繰り返して読む本は限られている。正宗白鳥の「内村鑑三・我が生涯と文学」(講談社文芸文庫)は、そのうちの一つである。正宗白鳥は1879年(明治12年)生まれで1962年(昭和37年)に亡くなっている。私が小学校に入学した年に83歳の生涯をとじているので、完全に私とは生きた時代がずれているのだが、この人の言説ほど心に響くものは少ない。気持ちが通じ合う気がする。私にとってはかけがえのない人である。
この愛読書の最初に収録されているのが「内村鑑三」と題する一編である。内村鑑三は「後世への最大遺物」という本で私も感化されていたが、正宗白鳥が若い頃直接その講演等で感化された様子をこの本で知った。その直接体験が私には非常におもしろく、正宗白鳥で内村鑑三のことをある程度理解し得たと思う。ただ、正宗白鳥の魅力は、自分で感心したことでないと感心したとは決して言わない潔癖さである。内村に没入した時代があったのであるから、心は相当に感じやすいに違いないが、頭がこの上なく冷静である。その点で類のない人に思える。
この本の「文壇的自叙伝」がまた秀逸である。正宗は、小説家と言うより文芸評論家で名をなしたが、最初は読売新聞の美術記者であった。そこで、美術関係の逸話もいくつか書かれている。その中で、こびへつらう人物に注意をするようにと周りの人が岡倉天心に忠告した際に、岡倉が「おれは諂諛(てんゆ)の徒が好きだ。」と答えたことに言及して、「この言葉は、私が年少の時に聞いた金言として心魂に刻まれて」いると書いている。これなど、正宗の真骨頂で、嘘はつけないのである。このように、世の中の真実が正宗の文章にはいくつも書かれている。
媚び諂いは、現代社会のビジネスに欠かせないツールになってしまった感がある。その分、人間の質が落ちてしまっている。お客様は神様です、といった対応は、しばしば、お客に商品をただ買ってもらいたいための媚び諂いに堕落することがある。お客も、「おれは諂諛の徒が好きなんだ。」と自覚していれば害は少ないが、この自覚がないと、とんでもないことになる。顧客ファーストという言葉は、今やどの法律事務所でも掲げられている金言には違いないが、専門家の媚び諂いはたちが悪い。法人顧客の担当者に媚び諂い、「おっしゃるとおりでございます。」などと連発する弁護士には注意が必要である。