顧問鷺坂長美「有珠山噴火災害」

有珠山噴火災害

2022年11月17日
鷺 坂 長 美

 北海道の洞爺湖の南側にある有珠山は江戸時代から定期的に噴火活動をしている活火山です。明治以降でも、1910年の噴火(明治新山)、1944-45年の噴火(昭和新山)、1977-78年の噴火、2000年の噴火とほぼ30年周期で噴火活動を継続しています。2000年の噴火時に消防庁の救急救助課長をしていたことから、噴火災害にかかる避難活動等にかかわりました。その時のお話です。
 2000年3月の29日ぐらいであったかと思いますが、気象庁から緊急火山情報が発出されました。有珠山はこれまで定期的に噴火していたこともあり、火山とその周辺の各所に地震計が設置され、当時から微動を観測することで火山噴火の予知に活用していました。それまでの気象庁の緊急火山情報は噴火があってからのものでしたが、噴火前の緊急火山情報ははじめてで、地元の避難も事前に行われたと聞きます。
 消防の基本は市町村消防です。大きな火災等の場合には近隣の市町村が応援に駆け付けますが、それでも不十分なときもあり、他府県の消防が応援する仕組みがあります。これは、阪神淡路大震災の教訓を踏まえて創設されたもので、都道府県ごとに消防隊を編成して応援に駆け付けるというものです。緊急消防援助隊といいます。
 2000年の有珠山噴火はかなり規模が大きいと予想され、北海道内の消防力では不十分ということで緊急消防援助隊が派遣されました。北海道内にはない消防車両でなにか役に立ちそうなものはないかと、横浜市消防局の保有する耐熱救助車を派遣することになりました。もともとはコンビナート火災等のようなときに対応するために作られた車両ですが、装甲が分厚く、活動に一定の安心感があります。
 3月31日に噴火活動がはじまりました。火山活動がはじまるとなかなか終息しません。洞爺湖温泉地区等の住民は既に避難していましたが、長引けば、一時帰宅の要望等が出てきます。私が有珠山に派遣されたのは噴火から1週間ほどたってからで、ちょうど住民の一時帰宅のオペレーションをするときでした。一日に数回震度4程度の地震が続いていましたので、安全面での確認には神経を使います。
 有珠山には消防隊以外に自衛隊や警察の広域応援部隊が配置されていましたが、各隊が協力して一時帰宅の支援活動をすることになりました。火山はいつ噴火するかわかりません。そこで、自衛隊ヘリに有珠山を長年研究されている北海道大学の教授の方に同乗してもらい、帰宅中の火口等を常時監視し、噴火の予兆が現れた場合は直ちに引き返せるような計画をたてました。しかし、ここで問題が生じました。自衛隊からの無線は周波数の関係もあり自衛隊のみでしか利用できなかったのです。住民の帰宅支援をしている消防隊や警察隊にいかに伝えるか、ということです。そこで、災害対策本部のある伊達市の庁舎に自衛隊、警察隊、消防隊の担当者が、同じ部屋にそれぞれの送受信機を持ち込んで待機し、自衛隊ヘリからの無線があれば、それぞれの担当者に口頭で伝え、直ちに現場の警察隊や消防隊に伝えられるようしました。幸い一時帰宅中に噴火の予兆は現れませんでしたが、日本の通信事情の遅れを気づかされたものです。今では大規模災害時には共通無線がありますので、そうしたことも昔話です。
 横浜市から運んだ耐熱救助車ですが、有珠山の災害現場では大活躍です。洞爺湖温泉地区を警戒で見回っていた時に避難遅れのお年寄りを救助したり、一時帰宅のオペレーションでは住民の動線を事前に確認したり、火山災害ではありませんが、近隣住宅の火災事案に出動したり、と大活躍だったと聞きました。

(横浜市耐熱救助車スーパーファイター327)
(導入当時の横浜市の人口が327万人だったことにちなんだネーミング)