顧問早水輝好「続・雪と海外出張」

 コラム第31回

続・雪と海外出張

2024年12月17日
早 水 輝 好

 前回の停電のコラムが9月1日だったので、3か月以上経ってしまった。この秋は仕事が忙しく、なかなか手が空かなかったのである。今年は夏が異常に長く、秋を飛び越えて冬になってしまった印象がある。ただ、今年は日本でもアメリカでも秋に選挙があり、政治的には重要な秋だったと言える。
 ハリス敗北のニュースが駆け巡る前の11月6日朝に、全く次元が違うが私にとっては衝撃の記事が朝刊の片隅に載っていた。「東京中日スポーツ、来年1月で紙の印刷を休止」というものである。電子版に全面移行するとのこと。第23回のコラムに「未だに40年前と同じスポーツ新聞6紙が売られていること自体が奇跡」と書いたが、とうとう奇跡が終わる時が来たのだ。しかも私の愛読紙で。コンビニで私が買ったらなくなる程度の販売で大丈夫かと思っていたら、やはり大丈夫ではなかったということだ。
 代わりに電子版を毎月1,980円に安くします、とのことだが、中日ドラゴンズが勝った翌朝に買うのがいいのであって、負けた日のトーチュウまで読みたくない。来年2月以降はどうしたものか、今から悩んでいる。

 気を取り直して久しぶりのコラムを書き進めることにする。本来なら、前回中断した「私が住んだところ」に戻るべきなのだが、「雪と海外出張」も書きかけになっていたので、そちらを先に終わらせることにしよう。
 環境庁に入った当初は海外志向がなかったのに、短期研修でアメリカに行ったことがきっかけでパリのOECD事務局に赴任し、帰国後は海外出張の機会が急増した。幸い、パスポートの紛失や盗難といったシリアスな事件に巻き込まれることはなかったが、小さなトラブルはいくつかあった。

 そもそも最初の海外旅行の中国への新婚旅行がトラブル第一号だった。帰国時に成田空港で荷物がなくなったのである。ターンテーブルから似た鞄を持っていったおばさんがいるなあと思ったら、まさしく似た鞄が残されていた。ご丁寧に取っ手のところに目印と思われるハンカチがまかれていたのに、間違えたらしい。「おそらくこの方から連絡があるでしょうから」と言われてとりあえず手荷物だけ持って帰宅したら、案の定、電話が鳴っていた。家内が出ると「すみません、うちのおばあさんが初めての海外旅行で間違えてしまいました」とのこと。「すぐにお送りします。ところでうちの荷物はどこにあるのでしょうか?」と言われて、家内は「さあ、まだ税関の向こうでしょ」と冷たく答えていたことを覚えている。翌日送られてきた荷物には三越の商品券が入っていた。「ターンテーブルでは荷物の出口のすぐ近くで待とう」が早速教訓となった。

 第27回のコラムの「雪と海外出張」の事件は2013年1月だったが、思い返すと、この頃にトラブルが集中している。2013年6月に起きたのが、「乗り継ぎ便乗り遅れ事件」である。パリへの出張があり、エールフランスの直行便で行くはずが、この時は機材の都合とかでアムステルダムのスキポール空港で乗り継ぐKLM便に変更になった。このため、スキポール空港のビジネスクラスラウンジでパリ行の乗り継ぎ便を待っていたのだが、仕事をしていてふと掛け時計を見上げると、腕時計の時間より先の時刻を示しているではないか! 現地時刻に合わせたはずの腕時計が遅れていたのだ。急いで搭乗口に向かったが後の祭り。駐機場を離れて滑走路に向かう飛行機が見えて愕然とした。
 その飛行機がパリ行の最終便だったので、翌日の朝一番の飛行機を予約し、その晩は空港近くのホテルに宿泊した。預けた荷物は出てこなかったので(パリで受け取った)、髭剃りを空港のドラッグストアで買って対応した。幸い翌日の会議は予定通り出席でき、1泊分のホテル代と髭剃り代の追加負担が生じただけで事なきを得た。
 帰国後、時計の電池がなくなってきたのだろうと思って時計屋に行ったら、「電池はまだあります。時計が磁気を帯びているのが原因です。携帯電話の近くに置かれたりしていませんか?」と尋ねられた。海外出張時には出張先用に別の腕時計を持っていくようにしており、ウェストポーチにこれと携帯電話を一緒に入れていたので、携帯電話の強い磁気の影響で腕時計の時間が狂ったのだ。時計の磁気を取り除いてもらったら直った。腕時計と携帯電話を接近させないこと、海外では腕時計と掛け時計とで時刻を確認することをそれから教訓とした。

 そして「第二の雪事件」が起きたのが2014年2月である。これもパリ行きである。OECDの会合があって、その時の私は議長をやることになっており、月曜日がビューロー(議長・副議長)の打ち合わせ、火曜日から木曜日が本会合だった。
 出発日の2月9日の日曜日。前日から雪が降り始めていたが、あまり気にせずに寝て朝早く起きたところ、外は真っ白。家内がテレビを見て、「成田エクスプレスが止まってるみたいよ!」と叫んでいた。フライト自体はこの時点ではどうなるかわからかったので、とにかく成田空港に行くしかない。雪が降りしきる中をあわてて支度して家を飛び出した。
 ローカル線を乗り継いで何とか千葉駅まではたどりついたのだが、タクシーは長蛇の列でとても乗れそうにない。同じ出張に行く経済産業省の人に連絡すると、彼も千葉駅のどこかにいるようだが、翌日のフライトに変更するつもりとのこと。その日のフライトがどうなるかまだわからない状態だったが(結局欠航)、早めに変更した方がよさそうと考えて自宅に戻った。幸い当時ビジネスクラスでの出張が多くてマイレージのランクが上がっていたので、優先受付の窓口があり、翌10日の昼間の便は満席だったが、10日夜出発、11日(火)の深夜3時着のフライトに変更することができた。
 パリでは私が到着するかどうかやきもきしたらしいが、翌日のフライトは無事に飛んで時刻通りに到着。ホテルで着替えて少しだけ休み、11日の朝に簡単な打ち合わせをしただけのぶっつけ本番で会議に臨むことになった。
 OECDの会議は技術的な事項を取り扱うのでそれほどもめることはなく順調に進み、無事に私が議長のパートは終了。会議後半に政治的な趣もある新規加盟審査(当時ロシアも申請していた)の議題があったが、そこは別の人が議長だったので気楽に参加し、3日間の日程は終了。13日(木)の夜に現地を立って帰国の途に就いた。

 日本はまた雪らしい、ぐらいの情報の中で14日(金)の夜に成田空港に到着。確かに外は雪だった。とにかく成田エクスプレスに乗ろうと改札口に行くと、出発したと思っていた高尾行きの列車(三鷹駅にも止まる)が遅れていてまだ乗れることがわかり、これはラッキーと三鷹までの切符を買って乗り込んだ。
 良かったのはここまでだった。途中でアナウンスがあり、雪がひどいので東京駅止まりになるとのこと。仕方なく東京駅で中央線の快速に乗り換えたところ、今度は多摩地方の雪の影響でどこまで行けるかわからないという。途中で三鷹行きの総武線各駅停車にまた乗り換え、何とか三鷹駅までたどり着いた。しかし、我が家の最寄りのバス停に連れて行ってくれるバスの最終便の出発時刻は過ぎていた。
 三鷹駅で降りたら外は真っ白の雪景色。相当積もっていた。タクシー乗り場には長蛇の列で、タクシーも全然来ない感じ。どうしようと思ってふと見ると、我が家方面行のバス停のところに列ができている!バスも遅れていて最終バスがまだ発車していなかったのである。天の助けとバス停へ向かい、しばらくして来たバスに乗ってやれやれと思った。
 3つ目のバス停が我が家の最寄りであり、あとは2-3分歩くだけだ。ところがバス停を降りたら深い雪で、新雪が夜になって積もったらしく、まだ歩く道はおろか足跡もほとんどない雪景色だった。荷物は大きなスーツケース、手荷物のブリーフケースに大きな土産袋の3点セット。雪はしんしんと降り続いている。思わず「八甲田山か、ここは!」とつぶやかずにはいられなかった。バス停付近の真っ白な雪景色の記憶が強烈に残っているが、大きな荷物を抱えてどうやって帰ったのか、全く記憶がない。荷物を抱えたり引きずったりして帰ったのだと思う。

 行きも帰りも大雪というとんでもない出張だったが、幸い、この後の海外出張では大きなトラブルはなく、現在に至っている。この事件の教訓はあまりないが、「人生いいこと半分、悪いこと半分」の実例と思われた。
 今年の冬も始まったばかり。大雪による災害が起きないことを願って、雪で始まり雪で終わった今年のコラムを閉じることにする。また長い文章におつきあいいただき、ありがとうございました。皆様、よいお年をお迎え下さい。

 

2014年2月の大雪(帰宅した翌日の2月15日)