都市プランナーの雑読記-その44
川本三郎『向田邦子の昭和と東京』新潮新書、2008.04
2022年5月11日
大 村 謙 二 郎
川本三郎は麻布中学、麻布高校、東大法学部卒、朝日新聞勤務とその経歴をたどると、典型的(何が典型なのか、実はよくわからないが)なエリート経歴だが、彼の少年時代の回想をたどると、映画好き、小説好きで、街を徘徊していた都会の子のイメージが強い。彼は、昭和30年代の東京をこよなく愛しているようで、その懐かしい風景、情景描写は東京に暮らしたことがない私にも共感を覚えさせる。私も母の実家が東京の三軒茶屋にあったこと、また、小学校2年から3年にかけての時に、父親が大病を患い、千葉大学の病院に入院し、そのとき私も1,2ヶ月だが、三軒茶屋や叔父が住んでいた市川に預けられたこともあり、東京のこの時代の空気を少しは覚えている。
ほぼ同世代の川本は、権力的な物言いや、権威を笠に着た人、けばけばしい派手な言動は嫌う、市井の人々の生活を大事にするといった、基本的価値観をもっており、自己顕示を嫌う点でも好ましい人だ。その点では村上春樹なども似ているような気がする。彼が、敬愛する永井荷風も、相当癖があった人だろうが、権威を笠に着ることが大嫌いで、日々の暮らしを大切するという点では川本の好みがよくわかる。ビールと安い肴で食事を楽しむ。決して吉兆のようなグルメは好まないし、ワインのうんちくを語らない。 ローカル線での旅、ひなびた町、すがれた町のなんでもない風景、情景を見事に掬い取り巧みに叙述している。その意味では元祖まち歩きの達人だろう。本人は毛頭そういった意識はなく、好きでぶらりとまち歩きを楽しんでいるのだろうが。
その彼が、同じ価値観を共有していたと思われる向田邦子の随筆、小説、ドラマをたどりながら、高度成長以後の大変貌を遂げたまがまがしい東京ではなく、戦前とつながり、しっとり落ち着いた生活がそこかしこに残っていた、昭和30年代前半ぐらいまでの昭和の東京を懐旧し、向田邦子の特質を描写したのが、このエッセイである。向田邦子のエッセイは何冊も読み、その時に静かな感動を覚えたものだが、川本の案内で、向田の作品を再度読みたくなる。
向田邦子は昭和4年の生まれで、ちょうど私の母や叔母の世代に通じる人だ。父親の職業の関係で、地方都市へも引っ越しして、生活したこともあるが、主として東京暮らしが長く、向田自身も自分を東京の子と自覚していたようだ。
向田の女子学生時代の思い出、父との関係、家族との交流、食の思い出、社会に出てからの自立した暮らしぶりなど、何とも懐かしい情景が彼女の作品、ドラマ、関係者の証言を辿りながら、再現され、ああこんな情景は私も体験したなという感覚にとらわれる。
昭和の東京を愛する川本が向田を評した次の文章は味わい深い。
「一般に東京の人間は、喪失感が強い。東京があまりに急激に変化してゆくために、自分の大事な過去、家、町が消えてしまう思いにとらわれる。作家でいえば、永井荷風が典型で、現代の喧騒に背を向けて、失われた過去に夢を見ようとした。
向田邦子もまた東京の新しい町、青山に住みながら、中目黒の家や麻布市兵衛町の家といった懐かしい家の夢を追った。その意味でも、向田邦子は生粋の東京人だった。いや、より正確にいえば昭和の東京人だった。」