都市プランナーの雑読記 その72
伊藤亜紗編、中島岳志、若松英輔、國分功一郞、磯崎憲一郎『「利他」とは何か』集英社新書、2021.03
2024年2月9日
大 村 謙二郎
東工大の「未来人類研究センター」に集う社会人文系の研究者が立ち上げた「利他研究プロジェクト」を中間成果的な形で取りまとめ、発表したものが本書です。
利他という言葉、概念を巡って、それぞれの専門、立場から自由に論じており、本書を通読して、「利他」が明瞭になるわけでないが、それでも、コロナ禍の時代を生き、他者との関係がより重要になる時代にあらためて、利他とは何かを考えさせる刺激的な論説集となっています。
編者である伊藤は美学が専門です。彼女の論説「「うつわ」的利他-ケアの現場から」は利他を巡って、ジャック・アタリの合理的利他主義という考えを紹介しつつ、それを延長した効果的利他主義の考えを批判的に吟味しています。さらに、利他のメリットを計量化、客観化、数字化する試みについての問題を提起し、利他は信頼の関係と関連し、開かれた関係を造りあげるものではと示唆しています。それは日本社会でしばしば混同されている安心とは異なる考え方であるとしています。この人の問題提起はわかりやすく、示唆に富んでいます。
政治学者、中島岳志の「利他はどこからやってくるのか」は志賀直哉の「小僧の神様」や親鸞の教えを参照しながら、相手に負債、返済義務を感じさせるような贈与、親切は利他とほど遠いものであり、意識せずに思わずやる、オートマティカルな行為の中に利他を考える契機があるのでは問題提起しています。
批評家、随筆家である若松英輔の「美と奉仕と利他」は柳宗悦の論説を手がかりに民藝の美に迫り、ここから利他についての考えを導き出そうとしていますが、はっきり言って論旨はちゃんと理解できませんでした。
哲学者、國分功一郞の「中動態から考える利他-責任と帰責性」は利他を考える前提として彼が近年注目している能動態、受動態とも異なる、古代ギリシアにあった中動態という考えを丁寧に紹介しながら、責任概念が近代の個人主義と密接に結びつくことなどを論じ、自己と他者の「あわい」の中にある利他というものに着目しています。これも、いろいろ刺激的な論説で蒙を啓かれました。
小説家である磯崎憲一郎の「作家、作品に先行する、小説の歴史」は直接、利他について言及していませんが、彼が中学時代に耽溺した北杜夫の作品や小島信夫の作品を読み解きながら、小説がどういう経緯、契機で生まれているかについて論じており、不思議な印象を与える論説です。
以上、利他をめぐって、各論者がユニークな所説を展開しています。利他というものについての共通の理解、正解があるわけではないしこれで利他のイメージが明確になったかわかりませんが、いろいろ考えを想起させてくれる、論説集です。
最近知ったのですが「情けは人のためならず」という言葉について、若い世代は、「情けをかけること、人を助けることは良くない」という言葉として理解しているのだということです。利他についてもいろいろな考えを持つ人が多そうです。