大村謙二郎「都市プランナーの雑読記-その71/沢木耕太郎『馬車は走る』」

都市プランナーの雑読記 その71

沢木耕太郎『馬車は走る』文春文庫、1989.07

2024年1月24日
大  村 謙 二 郎

 

 ふとした偶然で、古書マーケットから入手した文庫です。
 1986年5月に文藝春秋から刊行された単行本の文庫化です。解説はスポーツライターの小林慎也が沢木にインタビューするスタイルというか、沢木風の文体で書いています。なかなか凝った趣向です。
 沢木のあとがきによれば、「ルポルタージュを書くための取材をしていると、対象である彼の、あるいは彼女の、<運命という名の馬車>に、束の間でもあっても一緒に乗り、走っているのではないかと思わされる」とのことで、この書も、いろいろな媒体に沢木が書いてきた人物論で、その人の人生を馬車にたとえ、どのように走っているかを伴走しながら、追体験している記録と言えなくもありません。
 短編をまとめ上げ、一冊の本に仕立て上げるにあたって、彼はLPを製作する気持ちと表現しています。バラバラのウタが一つのストーリーとなっているとの趣旨です。
 本書では6人の人生が取り上げられています。そのうち3編は沢木から書こうと思った作品です。石原慎太郎、小椋佳は要請を受けて書いたもの、最後のロス疑惑で有名となった三浦和義は偶然の所産の要素があります。
 沢木は事前の調査を周到に行い、対象となる人物に肉薄し、その肉声をインタビューから引き出すことが巧みです。それぞれ個性ある人物であるが、石原慎太郎の傲慢さ、鼻持ちなさはどことなく醸し出されており、沢木の卓抜な文章表現だと感心しました。
  ほとんど無名の、赤坂のミカドを創った、立志伝中の山師的実業家、山田泰吉や個人タクシーを営業しながら自作ヨットで太平洋横断に取り組んだ平凡を地で行く多田雄幸の人物論は出色で、こういった人生があるのだと引き込まれて読みました。事実を掬い取っているのだがその表現の仕方で事実が光り輝き、深く考えさせるものだと読者に伝えるのは作家の技術です。沢木はものすごい努力、工夫をしているのだろうが、それに気付かせないという点もたいしたものです。さすがプロです。
 沢木耕太郎の文庫は、何冊かは読んでいますが、それほど熱心な読者でありません。時間つぶしというとおかしいが、気分転換のノンフィクション読書に適している感じのつきあいでした。
 単行本として刊行されたのが1986年で、沢木が30代末のときの作品ですが雑誌取材時はもっと前で、あとがきによれば、10年前から、最近の作品までを収録したと述べており、沢木の20代末から30代末までの作品であろうと思われます。この若さで、これだけ質の高い作品を書いているのに驚かされます。
 本書で取り上げられた人物を簡単に記しておきます。
 「帰郷」では若くして囲碁名人となった趙治勲が取り上げられています。韓国で複雑な家庭環境に育ち、小さいときに日本の囲碁道場に入門して、厳しい修行に耐えて、名人の地位に駆け上る。しかし、韓国での彼の評価はアンビバレントな状態である。韓国での名人戦に密着取材しながら、彼の生い立ち、複雑な心境などを描写している。沢木は趙とは一年以上前から知り合い、対話を繰り返す中で、囲碁の世界、先輩、ライバルとの関係、彼をサポートする兄との関係等を解きほぐしている。趙の存在を知らなかったが、プロの世界、日韓を往復する韓国人の複雑な心境が描かれており感心しました。
 「シジフォス」は1975年の東京都知事選に美濃部に対抗して、立候補した石原慎太郎を中心にした選挙顛末記です。石原陣営の選挙カーに乗り、選挙事務所に入り、関係者への取材をしながら、石原がどのような心境でこの闘いに臨んでいるのかを描いています。石原自身へのディープなインタビューはないが、それでも石原が政治家なのか、作家なのかよくわからないが、きわめて、自尊心が強く、傲慢な男である様子が描写されています。
 「帝」は赤坂で本格的なシアターレストランを開業するにいたった、立志伝中の男、山田泰吉についてです。彼が観光事業、娯楽事業で、中部名古屋で成功してもそれに満足することなく、あくなき欲望を持って、「帝」設立にこぎつけ、それが失敗したあと、消息不明になった中で、彼を探し出して、老いた山田にインタビューしています。こんな人物がいたのだと同時に、沢木の徹底した調査、取材ぶりに驚かされます。
 「その木戸を」は小椋佳についてです。彼の育った環境、特に母親が霊感の鋭い変わった性格の人であったことが小椋の性格形成に影響した様子が示されています。東大法学部を出て、銀行に入り、銀行員としてキャリアを積みながら、歌作りに精力を費やす、彼の葛藤などを描いており、小椋の複雑なキャラクターを描いています。
 「オケラのカーニバル」は戦前の旧制中学、旧制高校を経験し、その後個人タクシーのドライバーを行いながら、自作のヨットづくりに精を出し、ヨットレースに参加していく、多田雄幸に密着取材しています。名利を求めず、平凡な人生を淡々とおくる、非凡な平凡人多田にひかれていく沢木の様子が描かれおり、何ともホッとする佳品です。
 「奇妙な航海」はロス疑惑で世間の注目を集めた三浦和義が逮捕される前の1週間ほど密着取材したルポです。沢木は雑誌社の依頼でこの仕事を引き受けるが、取材の現場ルポという形で三浦という、奇妙な精神の男の一面を切り取って描写しています。本格的な取材、インタビューにいたる前の話だが、臨場感があり、面白い作品です。
 いまから40年近く前の人物ノンフィクションですが人間存在の不思議、魅力を活写しており、決して古びていません。いま読んでも大変面白いノンフィクションだと思います。