大村謙二郎 都市プランナーの雑読記-その70/山本義隆『私の1960年代』

都市プランナーの雑読記 その70

山本義隆『私の1960年代』金曜日、2015.10

2024年1月10日
大  村 謙 二 郎

 60年代末から70年代初頭にかけて大学にいた人達はある程度、なじみのある名前かも知れませんが、若い人にとってはだれ?ということになるでしょうか。腰帯の著者肩書きには元東大全共闘と書かれています。
 私は直接親しく話したことはありませんが、身近によく拝見し、同じ時期に、同じ空間で過ごした者には、平静な感覚では読み切ることが出来ませんでした。いろいろな感慨が想起されました。
 山本さんは私よりも6歳年上です。1960年に東京大学に入学され、物理、数学を学びたいの思いを強く持っておられたと同時に、駒場寮に入り、当時の安保闘争に関心を持ち、デモや反戦活動に参加されていった経緯が書かれています。
 東大闘争の発端から、どのように自身が関わっていったのかについても当時の大学執行部、教授会のダブルスタンダードぶりや大学自治の内実がいかに形骸化していたかを、当時の事を知らない人にもわかるように丁寧に書かれています。
 このあたりは私の当時の体験、思いを追体験するような気分で読みました。
 山本さんは在野の科学史研究者として次々と重厚な著作を刊行されているのですが、本書でも後半部分で近代日本の科学技術が如何なる特色、歪みを持っていたのかを明晰に解説されており、大いに蒙を啓かれました。
 本書には1960年代の当時の東大、学会をめぐる状況について山本さんが20代に書かれた文書を補注の形で収められています。「はじめに」の部分で、この補注は若書きで、いまの自分ならばこういった書き方、文体は用いないであろうが、当時の自分のレベルを率直、正直に示すためにも補注の形で収めたと記されています。あらためて、読んでみて、若書きかも知れませんが、論法鋭く、感動を誘う文章でした。
 また、補注には、当時の仲間達で早く逝かれた友人への弔辞が収められています。私のよく知っている方への弔辞も収められていますが、いずれも心のこもった文章で目頭が熱くなりました。
 山本さんの持続する志、生き様に感動を覚えると同時に、いまの自分はどうなのだと鋭く問いかけられているようで、忸怩たる思いが強まりました。
 いささか、個人的な感情のこもった紹介ですが、私にとって大変感動を覚える書籍です。当時の事を知らない人、あるいは日本の科学技術政策に疑問を持っている人、昨今の大学をめぐる状況に関心のある人に読んでもらいたい本だと思います。