都市プランナーの雑読記 その88
内田樹『コロナ後の世界』文藝春秋、2021.10
2024年12月11日
大 村 謙二郎
内田樹の著作で最初に読んだのは文庫版の「ためらいの倫理学」だ。どういうきっかけだったかわからないが、その文体、切り口の鮮やかさ、発想力などに魅惑された。ブログの存在を知り、そのブログに長短織り交ぜた、オリジナルエッセイがこれでもかという具合に更新、アップされており、ますます、その魅力にはまってしまった。
以降、彼の出す、膨大な著書を全てとは言わないまでも、結構買って読んできた。いつも同じようなことを言っているが、でもそれだけでないし、ちょっとずつ切り口、表現を変えて、まさに手を替え、品を替えて、オリジナルな言説を繰り出して発表する姿勢、自分は専門家でないといいつつ、街場シリーズという形で、多様なテーマについて、独自の視点で論説を展開する様子はまさに驚異的だ。
本書も彼が、ブログを含めて、多様な媒体に発表したものを集めて、編集して一冊の本としたものだ。内田曰く「ありものコンピーレーション」だが、たんなる再録、採録ものでない。内田は一書にまとめるにあたって、加筆、補正などを行っており、その点で「セミオリジナル」の性格を持った本だ。
コロナパンデミックで露呈された、日本社会の病理、劣化をいろいろな切り口で捉えて論じている。時局的なテーマも多いし、一度読んだ文章のような気がするが、あらためて、読んで、鋭い着想、社会分析だなと思う論説が数多かった。
4つの章に分けて、論説が編集、掲載されている。Ⅰ.コロナ後の世界、Ⅱ.ゆらぐ国際社会、Ⅲ.反知性主義と時間、Ⅳ.共同体と死者たちだ。
この中で、特に私にとって、面白く読めたのが次のエッセイだ。
「中国はこれからどうなるのか?」。中国の華夷秩序の中で、中国がどういう行動を取ってきたかを読み解きながら、中国が歴史的には東ではなく、西への関心が強かったこと、人口動態が今後の中国リスクの最大のものでは(これは多くの論者が指摘しているが)、など、なかなか大きな視点で中国を捉えており感心した。
また、オーウェルの1984関連のエッセイも、現代社会の監視国家化と絡めて、示唆的だ。
「反知性主義者たちの肖像」は他の著書(内田編著「日本の反知性主義」)からの転載で、多分一度読んでいるが再読して、内田の定義する反知性と知性を分かつもの、反知性主義者の行動様式、思考様式を鋭利に分析、解読しており、得心、感心した。
内田の書斎、書物に関わるエッセイ「自裁の仕掛け」は身近な話題から、書物の効用、書斎の効用について語っており、なるほどと思わせる。
内田のエッセイは、本人が書いているように、時間がたっても色褪せないし、何度も読みなおしたくなるエッセイの特色を持っている。エッセイというものは多分そういうものだと思うが。