顧問大村謙二郎「都市プランナーの雑読記-その38/鹿島茂『悪の引用句辞典』」

都市プランナーの雑読記-その38

鹿島茂『悪の引用句辞典-マキアヴェリ、シェイクスピア、吉本隆明かく語りき』中公新書、2013

2021年11月29日
大  村 謙 二 郎

 フランス語はからっきしダメで、どちらかといえばドイツ文化になじみがある方ですが、外国文化を専攻している人のエッセイや著作は、ドイツ系の人よりもフランス文学系の人の方が明晰で、面白く、ユーモアのセンスもあるとひそかに感じています。ドイツ系の人の本もたまに読むのですが、真面目で論理厳密ですが、ユーモアに欠け、肩が凝るのが多いというのが個人的印象です(たとえば独特の漢語表現でなかなかとっつきにくい廣松渉、ヘーゲル哲学の翻訳で有名な長谷川宏、ドイツ哲学の三島憲一、ウェーバー学の折原浩等)。ドイツ文化はやはり、フランスに比べると無骨でセンスに欠けるのかも知れません。そういった生真面目なところが好きといえば好きですが、フランス文化のお洒落さ、洗練さと比べるとドイツは見劣りするような気がします。
 話が脱線しましたが、フランス文化系の人で比較的よく読む、内田樹や鹿島茂のエッセイ等は、論理展開が軽妙洒脱で、またレトリックがうまく、エスプリに富んだ文章が多いなと思います。鹿島茂さんの本書もそういった類いの本です。
 鹿島さんは1949年生まれの団塊世代で19世紀パリを中心としたフランス文化、思想などが専門ですが、これにとらわれず、幅広い分野のカバーしている人で、150冊以上の著作を表している怪物的に多産の人です。
 鹿島さんのまえがきによれば、欧米では引用句辞典の類いが多数存在し、一般家庭に備え付けられており、欧米の人々のスピーチでは聖書や有名な著作の引用がその人の知性を示すとかで、引用句辞典は不可欠の書だとか。
 それに倣って、鹿島流引用句辞典を編んだというのがこの書の趣旨です。元は毎日新聞に連載されていた「引用句辞典・不朽版」を再構成、加筆修正したとのことです。69人、71の名句、名言を冒頭に引用しつつ、現代的なテーマに即して、鹿島流エスプリを効かせたエッセイが展開されています。どれも面白く、含蓄に富んでいたり、思わずにやりとしたりします。
 その中で私にとっても身につまされるのが、森鴎外の「妄想」を引用したあとのエッセイです。引用されている森鴎外のエッセイでは森鴎外がドイツ留学中に多数のドイツ語文献を購入したあと、帰国後も関連雑誌、文献を定期購読していた様子が描かれています。
 鹿島さんの話によれば、神田神保町にいると研究者の世界で地滑り的な変動が起こっているとか。各学問ジャンルの学術誌、学会誌、研究書が大量に廃棄処分される現象が起きているとか。特に外国系の研究専門書、雑誌でこの現象が顕著であるとか。なぜか。それは研究者世代の世代交代が起きており、とりわけ、団塊世代がリタイアすることにより、研究室に所蔵していたこれらの外国語専門書、雑誌がだれも引き取り手もなく、廃棄され、まさに灰燼に帰する運命とか。
 神保町であれば、古書マーケットが成立すると思われるかも知れないが、ほとんどこれらの外国語書籍には需要がないとのことです。
 昔ならば、海外留学したら、専門書を買いあさり、また、その分野の動向を押さえるために専門雑誌、学会誌を定期購読するのが通例でした。
 インターネットが普及して電子ジャーナル化が進み、また、よほどの好事家で無い限り、旧い時代の専門書には関心を持たない時代となり研究スタイルも変わると、こういった旧いスタイルの外国研究は成立しないのかも知れません。
 私も退職するにあたって、かつて収集、購読したドイツ語の文献、雑誌、調査報告書を少しはより分け、残したのですが、その多くは廃棄処分と相成りました。
 鹿島さんの決めの文句を引用します。「青年よ、大志を抱け!ただし、外国に行っても本は買って帰るな。悲しいかな、これが21世紀日本のアカデミズムの与える教訓なのである。」