都市プランナーの雑読記 その86
後藤正治『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』文春文庫、2006.9
2024年11月8日
大 村 謙二郎
64年の東京オリンピックで金メダルを獲得したチャスラフスカの人生をたどった、後藤正治の渾身のノンフィクションである。
なぜ、チャスラフスカに後藤はひかれたのか、彼女が体操界の女王として登場したときに多くの日本人がなぜ彼女にひかれたのか、単なる体操の演技だけでなく、彼女の持った雰囲気、人間的魅力に強く魅了されたのでは。そして1968年のチェコでのプラハの春で有名な政治改革に対して、彼女も二千語宣言の署名者に加わり、ソ連軍の侵入、弾圧によって、チェコの人間の顔をした社会主義の実験的取り組みがあえなく挫折した後も、彼女は宣言署名の撤回を拒み、自分の生き方を貫いた。必ずしも、政治的な考えが強いわけでないが、曲がったことが嫌いな、誠実な人生を祖国と共に歩もうとしたチャスラフスカはどう生き抜いてきたかを後藤は綿密な取材、関係者へのインタビューなどを通じて明らかにしている。
後藤のチャスラフスカへの関心の背景には若いときに社会主義にシンパシーを持ち、スターリニズムに対するおおいなる批判を持った、自分への納得というか、当時をどう理解したら良いのか、回答ができないことだけど、これに対するこだわりがあったのだと思う。
前半、4章はチャスラフスカの人生を本人や、関係者への取材を通して明らかにしている。挫折後の苦労と、1989年のビロード革命で人間の顔をした民主社会が回復したときの、彼女の復権と、その後の不幸が、克明に描かれている。東京オリンピックを前後するころから、チャスラフスカと親しくなった日本人体操女子選手たちに丁寧に取材し、彼女たちの目に映ったチャスラフスカを描き、人物評伝に深みを与えている。
後半の章は彼女と同時代に女子体操界で活躍した、ソ連の選手、ルーマニアのコマネチなど多くの女子選手に取材し、それぞれがどのような社会環境の中で、体操に取り組んだか、また、当時のチャスラフスカについての思い出などを描写している。社会主義体制下での女子体操選手がどういう生き方をしてきたのか、同じような苦悩、希望を持って生きた時代を冷静に描き出している。
世界各地を飛び回り、5年近くの時間をかけて、この書をまとめ上げた、後藤の代表作といえる。
1964年の東京オリンピックの時、私は高校2年生、神戸で過ごしていた。多分、チャスラスフスカを含め、体操競技の模様をテレビで見たような記憶もあるが、当時は彼女の名前は知らなかった。まだ日本がようやく近代国家の仲間入りを果たし、晴れやかな気持ちでオリンピックを開催したことを思い出しつつ、この力作評伝を読んだ。