色について(2020年8月)
2020年8月3日
小 澤 英 明
西村あさひを退職して独立するにあたって、事務所のロゴをどのようにするか悩んだ。何らかのシンボルであるべきと思ったが、かたちはすっきりしたものがいいと思った。トランプのダイヤのかたちで、中をさらに4つに区分けして、色を塗り分けることを考えた。色は、青、赤、緑、白とし、青は理想、赤は情熱、緑は自然、白は正直を象徴するものとしたらどうかと思った。そこで、ホームページをデザインしてくれたKさんに相談したところ、白は、紙の地の色とかぶるので使うのは難しいと、ダメだしが出た。正直を消すのもどうかと思ったが、白を他の色の枠で囲うのも嫌だから、白い区画はなしにした。
また、青と赤と緑はいずれも、その原色を三区画に連続して配色すると、色どうしがバッティングして、ごてごてした印象を与える。それで、青、赤、緑でも中間色を使って何とかバランスがとれないか、Kさんに相談して、いろんな色にトライした。ただ、どうしても、赤に近い色は、青とバッティングしてしまう気がした。思い切って、赤ではなくてオレンジに近い色にすると落ち着いた。いつのまにか、本来の色のもつシンボル的な意味合いよりも、三色がどのようなものであれば調和するかが重要になった。その結果、できあがったのが今の事務所のロゴのデザインである。今では人に説明するときには、それぞれ、水、大地、緑を表しているんだよと、適当なことを言っている。
子供の頃、黄色が好きだった。しかし、あるとき、子供向けの雑誌に好きな色でその人の性格とか運勢がわかるという記事があり、黄色が好きな人についてはいいことが書いてなかった。そこで、しばらくの間、自分は黄色が好きだということを大きな声で言えなかった。実にくだらない話で、今思い出しても腹がたってくる。成長していくにつれて、どの色が好きかという問い自体がくだらなく思えてきた。血が滴るようなバラの花弁を見ると、赤が一番のようにも思えるし、新緑の葉の美しさを見ると、緑が一番のようにも思える。高峰秀子さんのエッセイで、高峰さん(集めておられる小物を本で見てセンスのいい人だと思っていた)がフリージアの黄色にひかれると書かれているのを読んでうれしく思ったことがある。うれしかったのは、子供のころの占いのトラウマがまだ私に残っていて、それが癒されたからであろう。
色の趣味の良さというものは、その対象物のかたちや、材質や、隣り合う色や、背景や、動きや、時には気温や湿度など、諸々の要素で判断されるものである。色だけをとりあげて論じることは不可能で、無意味で、有害でもある。例えば、マンセル数値で街並みをコントロールする手法は、景観規制として一定の有効性はあるだろうが、形式的で好きにはなれない。建物の構法や建材の種類だけでなく、町の歴史、敷地の格によってもふさわしい外壁の色合いは変わる。この4月に、NHK番組でボタンバイヤーの小坂直子さんがヨーロッパでボタンを買い付けている状況を放映しており興味深く見た。ボタンは、素材が多様で素材の種類により色合いが変わるので、色を楽しむものとして面白いと思うが、衣服と合わせる必要がある。ボタンだけでは完結しない。その蒐集が女性の趣味となる理由である。