顧問早水輝好「続・エネルギー問題」

コラム第21回

続・エネルギー問題

2023年2月27日
早 水 輝 好

 前回のエネルギー問題のコラムが掲載されてすぐ後の朝日新聞に、国立環境研究所脱炭素対策評価研究室の金森有子主任研究員の気候変動問題に関する意見記事が掲載された。個人の生活で気候変動問題を「自分事」として捉え積極的に取り組む人が少ないことに懸念を示し、それにもかかわらず日本は二酸化炭素の排出が少なく優れた取り組みを実施していると認識している人が多いのは極めて無責任だと指摘している。
 私も問題点の指摘ばかりしていないで、実際にどんなことをすればいいのか、もう少し考えてみようと、続編のコラムを書くことにした。

 やはり個人でできる最大の貢献は、太陽光発電と蓄電池を設置することだと思う。太陽光発電により購入電力分のCO2が減り、蓄電池による適切な時間帯での充放電でピーク時の利用を減らすことができる。電気代高騰の折から、設置後の還元も大きい。
 自家用車をガソリン車から電気自動車に切り替えると、燃料の燃焼がなくなるからCO2の排出が減るように思えるが、本当に減るのかどうかは購入する電気の発電方法に依存するので、確定的ではない。ただ、電気自動車も一種の蓄電池であるから、これを家庭の太陽光発電や蓄電池の設備と組み合わせると、より効率よくエネルギーを使うことができ、CO2のネット排出も減らせるようだ。それを売りにしている蓄電池も商品化されている。
 この他にもお金をかければできることはいろいろある。家の断熱性を高めたり、LEDや省エネ家電、高効率給湯システムなどを導入するのである。これらにより、ZEH(ゼッチ:Net Zero Energy House)と呼ばれる住宅で暮らすのが、個人でできる究極の温暖化対策になると思う。
 あいにくこれらはお金がかかることばかりだが、東京都など自治体によっては太陽光発電や蓄電池、住宅の省エネ改修などに補助金が出るので、今はお金がかかる対策を行うチャンスではあるし、電気代高騰の折からランニングコストでかなり回収できる。100万円単位の投資にはなるが、お金に余裕がある人にはぜひ検討してほしい。

 では、若い世代や子育て世代、年金生活者など、お金に余裕がない人たちはどうしたらいいのか?
 特に都会に住んでいる人ができる一番の貢献は、自家用車を持たないこと、つまり移動は徒歩・自転車・公共交通機関のみにすることだと思う。以前のコラムに書いたように、自家用車を持たなければ他の人を殺すリスクがゼロになるという副次的効果もある。ただ、公共交通機関が不便な地域では難しくなる。
 家電を買い換えるときに、少し頑張って省エネ性能の高いものにすることも、比較的少ないコストでできる。その時の一時的な出費が終われば、ランニングコストが下がり、時間がたてば元がとれるまで行かなくてもある程度は還元される。例えば白熱電球は簡単にLED電球に変えられるので、投資効果が高いと思う。

 あとはひたすら省エネするしかない。まさしく温暖化対策と家計対策を兼ねることになる。とにかく電気を消しまくり、エネルギー消費を最小限にするのである。
 ケチケチすると気分が暗くなるから、気分が暗くならずに省エネ生活をするにはどうするか。文字通り、暗いときには活動せず「太陽とともに行動する」ことである。日の出ともに起きて活動し、日の入り後なるべく早く寝る。冬は活動時間が短くなるが、暗くて寒い時間を布団の中で過ごせば省エネにつながることは間違いない。もともとの人間はこうだったはずである。
 しかし、実生活の中で生活パターンを変えるのは難しい。私はいつも就寝時間が0時を過ぎるので、せめてその日のうちに寝たいとずっと試みているのだが、なかなか達成されない。わずか30分繰り上げることもままならないのである。相当の強い意志が必要である。遅寝の習慣は現代社会の根本的な病巣かもしれない。
 他には、家族がなるべく同じ部屋で活動する、あるいは昼間に冷暖房が必要な季節は一人で家にいないで公共施設や商業施設に逃げ込むという手もある。

 ただ、これほど涙ぐましい努力をしても、それで減らせるCO2はそれほど多くはない。それに、このような意識を持つ人はまだいいが、おそらく少なからずいる「意識を持たない人」を巻き込まないと、とても「2050年カーボンニュートラル」とか「2030年までに46%削減」といった高い目標を達成することはできない。そうするとどうしても、供給する電力の発電の際にCO2を減らす、再生エネルギーでできた水素を使った燃料電池車を普及させる、といった政策的な誘導や技術開発により、「意識を持たない人でも普通の生活の中で達成できる」対策が必要になる。それがまささしくGX(Green Transformation)であり、そのための予算もたくさんつけられている。
 しかし、GXの文脈で原子力発電所が「CO2を発生させないクリーンエネルギーです」と救世主のように登場するのは、「ずるい」気がする。前回のコラムで書いたように、高濃度放射性廃棄物の処分問題という、原子力発電所にとって最も大きな課題が別にあるからである。その問題を棚上げにして、発電時のCO2という側面だけで評価しようとするのは、次世代に対して無責任だと思う。

 こうやって書き並べてみると、生活の中でCO2を減らすことは容易ではないことがわかる。人間の呼吸でCO2が排出されるように、現代生活では、呼吸するのと同じくらい基本的な生活の中でCO2が排出されていると言える。このため、残念ながら、現実的にはCO2削減の努力(緩和策)だけでなく、温暖化してしまった時の影響を減らすための「適応策」の検討も必要のようだ。でも、前回も書いたように、子供や孫の世代に少しでもよい環境を残せるよう、大人・老人世代は頑張る責任があるのではないか。
 我々が子供の頃は「桜の下の入学式」が定番だったが、昨今は「桜の下の卒業式」が定番になりつつある。これが、散る桜の下での、さらには桜が散ってからの卒業式になり、我々の心象風景も温暖化に「適応」させていかなくてはいけないのでは寂しい。何とかしようではありませんか。

太陽光発電と蓄電池の室内モニター
(発電量、充電量、使用量などをわかりやすく見ることができる。)