弁護士小澤英明「貂」

貂(テン)  (2026年2月)

2026年2月9日
小 澤 英 明

 先日、ダヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」を取り上げたテレビ番組を妻が録画していて、「一緒に見ましょう」というので夕食後につきあっていた。貴婦人の顔にダヴィンチの指の指紋がベタベタついていることについての解説がなされるあたりで眠くなった。その眠くなったあたりで、このテンは野生動物のはずで、こんなに優雅に貴婦人の腕に抱えられるなんて、あるのかなあと何となく違和感を覚えたが、そこらあたりは詳しい解説がなかったような気がする。こちらは、うとうとしていたので自信はないが。
 それから数日たって、たまたま井伏鱒二の「貂というもの」というショートエッセイを目にした。テンを虎挟みで捕らえた峠の茶店の主人の話である。ちょうどダヴィンチのテレビ番組を見たばかりだったので興味深かった。井伏の筆は冴え渡っている。少し長くなるが引用すると、「この動物は虎挟みに脚を挟まれると、腹を立てるどころでなく、怒り狂った状態になるようだ。虎挟みには三尺ばかりの針金をつけて木の株に結えてあるが、テンはその針金の許す範囲じゅう、山ツツジや野ザクラの下枝をすっかり噛み切って、穴ぼこを掘って頭だけかくしている。そこを茶店の主人が棒で撲るのだが、棒の先でテンのお尻を軽く突く。びっくりしたテンが穴から顔を出す。素早くその脳天めがけて棒を打ちおろす。この場合、一撃で仕留めなくては毛皮に疵がついて拙い。脳天を割られたテンは、ぐにゃりとなって忽ち重い襟巻のようなものに変化する。・・・」、襟巻にするために殺しているわけである。
 この茶店の主人を残酷と見るかどうかだが、テンは野うさぎの臓物が好物なのだと書いてある。可愛い野うさぎを襲って殺して、内臓に舌舐めずりするようなテンは、許せん、茶店の主人に一撃で殺されても自業自得ではないかという気にもなる。もちろん、現在は、テンの猟も許可制なのだが、殺すときには一気に殺さないとかえって可哀想なことになりそうである。牛を屠殺するときも、脳天に一撃しないと可哀想なことになると聞いたことがある。牛の場合は何も悪いことをしていないのに一撃で殺されるなんて、可哀想すぎるような気もする。ただ、人間はその肉を美味しいと言って食べているのだから、いい気なものである。昨年、クマ被害がおびただしく、人を襲って食べているクマもいるなんて話を聞くと、憎らしくて仕方がなかった。カメラに向けたツキノワグマの顔も馬鹿面に見えてくる。人の生活を脅かす野生動物には、怒りを持って厳しく向かいあうのが正しいと思う。
 やはり、野生動物と犬や猫の愛玩動物や牛や豚の家畜とでは扱いを異にしなければならないだろう。扱いを同じにするとこちらの頭がおかしくなる。もっとも、野生動物だからと言って、無意味に殺したい人では困る。人間の生活を脅かす場合に怒りがこみあげるは当然のことで、その怒りをもって殺すのは、人間も動物たから、やむを得ないだろう。もっとも、野生動物と言えども、人間の都合で殺すのは微妙である。怒りがなくて、「こいつだってウサギを食い殺すとんでもないやつなんだ」なんて言い訳しながら襟巻き用に殺すのならば、殺すときは南無阿弥陀仏などと唱えないと心が落ち着かないのではないか。私の自宅の池には鯉がいる。金魚は喧嘩をすると聞くが、鯉は決して喧嘩をしない。これにはいつも感心する。餌を投げても、集まっては来るが、決して他の鯉に向かってはいかないのである。餌しか見ていない。鯉も野生動物なので、「偉いね」と思いつつ、池を取り壊すような場合、鯉はどこに処分することになるのだろうとふと思った。
 後日、ダヴィンチの絵の動物は、貂ではなく、白いフェレットだと知った。道理で大人しくしているはずだ。