弁護士小澤英明「谷根千の贈り物」

「谷根千の贈り物」(2024年12月)

2024年12月19日
小 澤 英 明

 3年前に母が亡くなり、半年前に父が亡くなった。先月、佐世保にあるお墓を東京の都立谷中霊園に改葬した。その佐世保のお墓は90年ほど前にできていて、中に高祖母、曽祖父、曽祖母も埋葬されていた。今、無事、改葬をすませられ、ほっとしている。谷中霊園では、近年、墓じまいの結果空いたところに新規の墓地使用許可を与えており、小さな区画と大きな区画の2種類の枠で募集をかけている。私は、小さな区画枠に申し込み、8倍の倍率だったが運良く当たったものである。使用できる具体的な区画は、当選後に都から一方的に割り当てられるので、割り当てられた場所が気に入らなければ、辞退できる。私は、四つの小さな区画が並んだスペースの一区画を割り当てられた。お墓は、自由にデザインすることが許される。洋風のデザインも考えたが、伝統的な和風のスタイルが飽きが来ないような気がして、和風にした。ちなみに、その四区画のでき上がりは、洋風、和風が二区画ずつとなった。
 墓石は父親が黒いものは好きではないと生前話していたので、白い御影石から選んだ。白い御影石と言ってもいろいろ種類があるが、滑らかな上品な感じを受けた紀山石(きざんいし)にした。福島の石である。工夫したのは、埋葬された人の名前を横書きで漢字とローマ字で表して、生年月日と死亡年月日を書き入れた黒い銘板を手前に置いたところ。墓誌は多くのお墓で最近流行っているのだが、生年月日と死亡年月日の両方を書き入れたものは少ない。また、漢字のほかローマ字を入れたものは珍しい。墓誌の多くは立てて置かれているが、私のところは手前に横に寝かせている。できあがったお墓の写真を姪に見せたところ、墓誌の銘板がニューヨークのグラウンド・ゼロの墓碑みたいで、オシャレだと言ってくれた。銘板には、インド黒という石を使った。
 谷中霊園の抽選に当たってから、頻繁に谷中霊園とその近くを歩いている。いつのまにか、お墓に対する抵抗感もなくなった。谷中霊園近くの散歩が楽しいのは、戦前からのお寺が多く残っており、高い建物と言うか、建物自体が少ないので空が開けていて、江戸とは言わないまでも明治大正の頃の雰囲気が残っていそうで、歩くと気持ちがいいからである。実は、Googleマップで見ると、お寺の建物の周りにはぎっしりとお墓がある場合が多いことに気付かされるのだが、道沿いには塀がめぐらされているので、道からはお寺の建物の上部だけが見えて、お墓は目に入らない。谷根千(谷中の谷、根津の根、千駄木の千)と呼ばれている地区の一部になる。週末は散歩を楽しんでいる人が多い。谷中霊園は外国人観光客の観光スポットにもなっている。先日、「ラストショーグンのお墓はどこですか?」と白人の老夫婦に聞かれた。私のところのお墓は、谷中霊園の南西の端に近く、南側の墓地の境界の塀を超えると上野桜木2丁目となる。西側の道路を隔てた向かいは、谷中6丁目で、道路沿いにマルグリートという可愛い洋菓子店(写真参照)がある。そこでソフトクリームを食べたり、アイスティーを飲みながら、店の中から行き交う人々を眺めると幸せな気分となる。
 谷中霊園からカヤバ珈琲店の角(上野桜木交差点)まで降りていき右に曲がって地下鉄千代田線の根津駅までダラダラと続く言問通り(ことといどおり)の周辺には相当に詳しくなった。和菓子屋さんも、お香専門の店も、アートギャラリーも、手拭い専門の店も、花屋さんもある。芸大が近いので絵画用品専門の店もある。多くの魅力的な飲食店がある。飲食店の激戦区とでも言うべきところで、イタリアン、フレンチ、和食の美味しいところがいくつもある。行きつけのイタリアンもできた。これからは、お墓参りに名を借りて谷根千を楽しめると思うと、何かうれしい。両親が最後に残してくれた素敵な贈り物にも思える。