弁護士小澤英明「虎に翼」

「虎に翼」(2024年4月)

2024年4月30日
小 澤 英 明

 NHKの朝の連続テレビ小説を久しぶりに見ている。何十年ぶりかである。日本の最初の女性弁護士3名の一人である三淵嘉子さんがモデルの「虎に翼」。今や、女性弁護士は数多く誕生しているが、先月、ある合議事件で東京地裁の法廷に立ったら、裁判官3名全員が女性であった。3名とも女性というのは、私の経験でもはじめてのことで、裁判長とのやりとりより、その光景が印象に残った。
 私は、昭和49年(1974年)、東大文1(法学コース)に入学した。当時、文1の学生は1学年630人くらいだったような気がするが、女性は20数名だったと思う。大教室の一角を女子学生が占めるという状況だった。1年生のときは、第2外国語でクラス分けがあり、私はドイツ語の50名ほどのクラス(文1と経済の文2の混成)で、すべて男子学生だった。同学年法学部の女子学生の記憶は薄い。福島瑞穂さんも同学年だったようだが、記憶はない。福島さんは授業にあまり出ていなかったのかもしれない。
 司法修習生も女性は少なくて、司法試験の合格者は550名くらいだったと思うが、女性は1割もいたかどうか。昭和53年(1978年)当時の私のクラスも約50名のうち、女性は4名だけだった。実務修習で修習生は全国に散らばる。私が配属された東京4班は20名ほどだったが、女性は2名だけ。そのうちの1名が、佐賀千恵美さんで、この「虎に翼」のモデルの三淵嘉子さんを含め最初の女性弁護士3名の生き方を描いた「華やぐ女たち 女性法曹のあけぼの」を10年ほど前に出版された。「虎に翼」の原作者も、この佐賀さんの本をずいぶん参考にされたはずである。
 私は昭和31年(1956年)生まれで、小学校に入学したのが昭和37年(1962年)であり、戦後民主主義の教育の中で育ったので、戦前の男性のように女性を蔑視する感覚はない。戦争終結から十数年しかたっていないのに、そこまで一挙に時代が変わったことが、考えると不思議だが、アメリカの力と明るさが、日本人男性を屈服させたというべきかもしれない。私は小学校6年まで米軍基地のある佐世保市に住んでいた。小学校の校区の隣接地に(佐世保市の中心地の一番いいところだった)、米軍関係者の家族の住宅が集まっていて、塀のない緑の芝生で敷き詰められたような庭を遠くから見て、別世界だな、みたいな気持ちをもった。日本人男性がいくら威張っても、女性に優しいアメリカ人の前では威張れないので、女性から見透かされたはずで、アメリカ人の多かった佐世保市などは男女平等意識がもっとも早く普及した地域だったかもしれない。
 戦前は、男尊女卑の思想が強く、「虎に翼」の放送を見ても、きっとそういうこともあっただろうと思わせる場面がいくつも出てくる。馬鹿な男性にも従うことを強いられるのでは、利発な女性は耐えられなかったと思う。ただ、男と女の性差がないわけではない。本能的な行動に見られるような差異は確かにある。どのように男女を取扱うことが適正なのか。時代の意識の変化に合わせて考える必要がある。また、個別の事案に応じて考えるべきで、男だからとか女だからとか、最初から決めてかかることは禁物である。