法と倫理(2023年8月)
2023年7月27日
小 澤 英 明
今から17年ほど前になるが、日本建築学会「地球環境委員会」で「建築とCSR(建築物と社会的責任)小委員会」という委員会があって、私は、当時、オフィスビル総合研究所の代表であった本田広昭氏に誘われて委員となった。50歳になるかならないかの頃である。委員のメンバーは、多士済々であったが、本田さんの人脈でつながっていたように思う。私より10歳以上年配の方々が多く、学者、コンサル、設計会社、ゼネコン、メーカー、研究所等の各分野で実績のある方たちばかりだった。その報告書自体は、「建築物と社会的責任」という言葉でネット検索するとすぐに出てくるので、関心のある方には読んでいただきたいが、ここでは、その委員会で私がたしなめられた経験を書く。
当時、私は、外資系ファンド側で日本の不動産を買収する各種契約の作成に関わっていた頃で、相当数の経験も積んで、外資系企業とか外資系ファンドとかは、こういう物の考え方をするんだなと、わかった気になっていた。外資系ファンドが、弁護士に一番聞きたがるのは、「この論点を裁判所にもっていったら、裁判所ではどういう判決が出るのか」という、ほぼその一点に絞られることがわかった。ドライだけれど、確かに、それはよくわかると思い、40代後半からは、徹底して、その視点で頭を整理するようにつとめた。その視点からすると、いかにもありそうな論点について日本では必ずしも適切な判例がないということが多々あって、閉口したことだった。外資系クライアントには、ある論点について裁判所がどう判断するかを素早く答えることができる弁護士でないと、優秀な弁護士としては評価されないと感じていたからである。
そのような仕事の経験からは、この委員会でテーマとなっている「建築物と社会的責任」という言葉は、言葉自体、「一体、これ、何なんだ」、みたいな疑問も出てくるテーマである。しかし、この委員会で、私は、実業界の人たちが、単に既存の法律だけでなく、もっと広範な社会倫理のようなものを常に意識していることを知って目を開かれた。あるとき、多分、建築物の長寿命化を議題にしていたときだったと思うが、私が「でも、違反したら制裁を受けるような罰則のある規制をかけないと無理なんじゃないですか。」と発言したことがあった。この発言に対し、ある外資系会社のAさんから、「それは違うでしょう。当社は、法律に規制されていないことも、さまざまにルールを決めてやっていますよ。」とぴしゃりと反論されたことがある。それは聞いた途端正論だと思った。「なんて浅はかなことを俺は口走ったんだろう」と恥ずかしく思って、今でも、その時の光景を覚えているくらいである。
世の中には、法律以外の規範がいろいろとある。法律万能のように思っている人は、法律、政令、省令、判例にこだわるのだが、それらをいくら読み込んでも、ある論点でどのように判断することが法的に正しいことなのかは、実はわからないことが多いのである。方程式はいくらでもあるからで、導きの星は、それらの知識の集積ではなく、良心と言い換えた方がいいかもしれないが、倫理感のように思う。法律の条文など少しも知らなくとも、法律問題の結論を正しく出すことができる人はいくらでもいる。倫理は法の核心であると思う。