弁護士小澤英明「最初の刑事事件」

「最初の刑事事件」(2024年11月)

2024年11月27日
小 澤 英 明

 最近、SNSを使った闇バイトによる強盗事件が増えており、人々に不安を与えている。スマホを使い、秘匿性の高いアプリで指示を受けるという現代的な方法を駆使しているが、直接的な行為は強盗なので伝統的犯罪である。海外に指示役がいれば、指示役逮捕まで時間がかかりそうだが、警察と検察のメンツにかけて一網打尽にしてほしいというのが、国民の願いだろう。ただ、強盗の実行犯の中にはごく普通の家で育ったように見える若者もいる。ごく普通の家庭で育った者がSNSにより犯罪の道に引きずりこまれていれば、問題は深刻である。
 私は弁護士になって最初の3年間はごく普通の一般民事を扱う法律事務所にお世話になって、刑事事件も経験した。最初の刑事事件は国選事件だった。弁護士会の建物の指定された部屋に入って、いくつかの事件の中から起訴状を見て自分で選んだのだが、私は、神奈川県にある、二つの大きな大学病院に爆弾をしかけたと電話して、金銭を脅し取ろうとした40代の男性被告人の事件を選んだ。最初の刑事事件にしては荷の重そうな事件だが、最初の事件なので張り切って選んだものと思う。拘置所で被告人に面会し、被告人の家に出向いた。ある公営団地に家があった。被告人は前科も前歴もなかった。動機は、本人が病気になって職を失い、収入の道が閉ざされたことによるものだった。奥さんはしっかりした人だったが、さすがに夫の愚行と逮捕・起訴に動揺していた。小学生の子供が二人いた。病気の話を聞くと同情の気持ちがわくのだが、病院への爆破予告だから大迷惑なことだった。病院にも出向いて当時の状況を聞くと、病院は大混乱に陥ったようだった。
 本人の話によると、「新幹線大爆破」の映画にヒントを得たとのことだったが、実際にはお金の受け渡し場所に喫茶店を指定し、そこに現れた女性警察官にあっけなく捕まったもので、「一体、何のヒントを得たのか」と、どこかとぼけた寸劇の展開を見るような気分になったことを思い出す。どう弁護するか悩んだが、奥さんの話を聞くと、団地の少年野球のコーチを長年やっていたとのことで、これだ!と思って、奥さんに関係者から寛大な判決を願う旨の嘆願書を集めてもらった。思いの外、多くの嘆願書が集まり、裁判所に提出した。公判の日、裁判所に出向くと、開廷前から傍聴席には多くの中学生が座っていた。中学の社会見学として、その事件が選ばれてしまっていたのだった。弁護人席につく私に傍聴席の多くの中学生の目が注がれた。「オイオイ、俺はこれが最初の刑事法廷なんだぞ」と内心つぶやきながら、刑事弁護人として法廷に立った。熱弁したとは思うが、また、どうか執行猶予の寛大な御判決をと、しめくくったはずだが、世の中、そんなに甘くはなくて、一回で結審し、実刑判決が下った。数か月の実刑だった。その後、被告人ともその家族にも会ってはいない。
 世の中にはいろんな刑事事件がある。関係者のご苦労は推して知るべしだが、先日、ネットで監獄協会雑誌という雑誌が明治32年から大正11年まですべてpdfで公開されていることを知った。これらは、当時の社会を知るにはかなり有用なものである。正直なところ、その膨大な情報量には圧倒される。また、これらから、明治時代の人々が欧米の状況を学んで、その良いところを日本に取り入れることに相当にご苦労されていたことを感じとることができる。刑事事件における裁判所の役割はもちろん重要だが、少年非行の防止、反社会勢力対応、刑務所での処遇、出所者の更生、心神喪失や心神耗弱の判断にも関わる精神医学の研究など、刑事事件には広範な関連領域がある。監獄協会雑誌という古い雑誌を少し読むだけでも、刑事事件の関連領域の広さが実感できる。