「小樽 ―伊藤整・川崎昇・左川ちか―」(2023年12月)
2023年12月11日
小 澤 英 明
12月9日の日経朝刊の文化面を見たら、「左川ちか」の写真と記事が大きく載せられていた(写真参照)。その前日まで、伊藤整(1905-1969)の「若き詩人の肖像」を久しぶりに読み返していたので、偶然とも思えず驚いた。伊藤整の小樽高等商業学校(小樽高商)時代、もっとも信頼をおいていた友人が川崎昇であり、その妹が左川ちか(本名:川崎愛)であった。このことは、「若き詩人の肖像」を読むとわかる。そこで、左川ちかとはどんな人だろうと、つい数日前に検索したばかりで、スマホで見た写真と同じ写真が日経に大きく出ていたので驚いたのである。私は、左川ちかのお兄さんの川崎昇に関心があった。と言うのは、伊藤整は、大変な気難し屋で、他人を手放しでほめることはめったにないが、川崎昇については、その人となりにすっかりほれこんでいたのがわかる。その妹に左川ちかという詩人がいて、若くして外国文学の紹介もしていることを知った。
この伊藤整の自伝的作品は、当時の地方の高等商業学校というものを知るには得難いものであり、この作品で戦前の高等商業学校の状況はつぶさにわかる。とくに、最初の「一 海の見える町」、「二 雪の来るとき」の二章は出色の出来で、今回で三度目だと思うが、繰り返し読んでも飽きない。1年上の学年にいた小林多喜二のことも書かれている。伊藤整が登場人物の多くを実名で登場させているので、知らないことをいくつもスマホ検索で知ることができる。スマホ時代の幸せである。伊藤整の書きぶりから、浜林生之介という英語の教師を尊敬していることがわかるので、検索すると、この浜林先生は、すごい先生だった。広島高等師範学校卒業のあと、イギリス留学を果たし、見込まれて小樽高商の教師になったのだが、英語と教えることに情熱をもやした人である。
私の鹿児島ラ・サールの中1から高3までのもちあがりの国語の担任だった成田満穂先生も広島高等師範学校の卒業と聞いたことがある。私は、中学に入ったときから数学は得意だったのだが、国語は成績が悪かった。それは、精神年齢が低かった(幼稚だった)ということでもあるが、文章の読み方がわかっていなかったのである。成田先生の教え方は厳しくて、授業中、「この『それ』は何を指しますか。小澤」などと当てられるといつもどぎまぎして、答えをはずしてばかりいたものだった。しかし、成田先生の薫陶宜しく、高校生になるといつのまにか国語も得意になっていった。それに引き換え、英語は、中学入学後、それほど勉強しなくてもそこそこ点数がとれたからか、熱心に勉強することがなく、いつまでも得意にはならなかった。語学は名教師に当たるかいなかで、大きな差がつくことを実感する。
「若き詩人の肖像」には、川崎昇の提案で、伊藤や川崎が同人誌の印刷資金の手当てをするために、小樽高商で製造していた石鹸を夜店で売る話が出てくる。石鹸だけでなく、自宅の垣根のバラを切り花にして売ったらよく売れたということが書かれている。その花を伊藤は最初自宅のバラでまかなっていたのだが、それでは足りなくなったようだ。そのことを電車内で知り合った女学生に話すと、その女学生が誘ってくれて、その人の家の垣根でも切ってもらったとある。家の垣根のバラが売り物になるなんて、素敵だな。