弁護士小澤英明「二葉亭四迷」

二葉亭四迷(2023年11月)

2023年11月15日
小 澤 英 明

 ロシアのウクライナ侵攻以来、ロシア人がわからないという気持ちからか、本屋でもロシア関係のものに目が行く。先日、池袋のジュンク堂の文庫コーナーを眺めていたら、中村光夫「二葉亭四迷伝」(講談社文芸文庫)が目に入った。かねてから、二葉亭四迷(1864-1909)は、日本におけるロシア文学の先駆者で、言文一致の文体の創始者との認識はあったが、私は「浮雲」も読んではいない。まずは、その著作から入るべきとも思うのだが、伝記ものに目がない私なので、とりあえず購入した。すると、これがおもしろい。
 二葉亭四迷(本名 長谷川辰之助)がロシア語を学んだ動機が、1854年の樺太千島交換事件以降の世間のロシアへの反発の影響を受け、「将来日本の深憂大患となるのはロシアに極つてゐる。こいつ今の間にどうにか禦いで置かなきやいかんわいーそれにはロシア語が一番に必要だ。と、まあ、こんな考へからして外国語学校の露語科に入学することとなつた」とある。中村光夫は、「このように、無私な動機で自分の生活を実際に決定していく熱情は、・・・異様な無垢の資性、あるいは真の改革者の精神に特有なものと思われます。」と書いている。確かにそうなのだが、この述懐からは、それを感じるとともに、ロシアに対する警戒感が日本では明治初期から相当に強かったことが伝わってくる。
 二葉亭四迷は、ある基督教の雑誌に言及して、「この雑誌では例の基督教的に何でも断言して了ふ。たとへば、此世は神様が作つたのだとか、やれ何だとか、平気で『断言』して憚らない。その態度が私の癪に障る。よくも考へないで生意気が云へたものだ、儚い自分、はかない制限された頭脳で、よくも己惚れて、あんな断言が出来たもんだ、と斯う思ふと、賤しいとも浅猿しいとも云ひようなく腹が立つ。」と述べている。キリスト教のブラザーやシスターの修道院生活を思うと、キリスト教を悪く言う気にはなれないが、二葉亭四迷の、この「腹が立つ」気持ちはよくわかる。人間には良性も悪性もあり、その両方にいつも揺れ動くから始末が悪いのである。中村光夫は、二葉亭四迷がそのことを自覚して、しばしば自己嫌悪に陥るところにシンパシーを感じたに違いない。
 この伝記を読み進んでいるうちに、二葉亭四迷の著作そのものを読みたいと思い、筑摩書房の現代日本文学大系シリーズのどこかにあるはずだと、自宅の本棚を探索したら、「政治小説 坪内逍遥 二葉亭四迷 集」が見つかった。これは、今から20年以上前、柏市に住んでいたときに、自宅近くのBOOK・OFFの店舗で大量に購入したこの全集の一冊で、老後の楽しみに買っていたようなものだが、買っておいた甲斐があった。繙くと、「浮雲」は、戯作調に感じられ、読みにくい。一方で、ツルゲーネフの「あひびき」の翻訳はずっと読みやすく、今の文体に近い。1888年にこの翻訳が発表されたとき、世間を驚かせただけのことはある。ツルゲーネフの原文が精妙なのだろうが、自然描写は真似ができない。ツルゲーネフの心が二葉亭四迷の心にふれてできあがった翻訳だと思う。なお、この大系の本の中には、二葉亭四迷の「予が半生の懺悔」という作品が収録されている。中村光夫の「二葉亭四迷伝」と合わせ読むと、このまれに見る正直な人の人生がよくわかる。