小澤英明「私の好きな曲」

「私の好きな曲」(2024年1月)

2024年1月16日
小 澤 英 明

 年末に長男家族が仙台からやってきた。大晦日、午後から晴れたので、私の父(97歳)を介護施設まで総勢6人で訪ねた。昨年は父が4度入院し、4度退院し、4度目の退院後、介護施設を変えて看護師さんが多いところに移った。誤嚥性肺炎で亡くなる人が多いが、父の4回の入院も誤嚥性肺炎で、痰が気管に入り肺で炎症を繰り返したようだ。痰を吸引するタイミングを間違えず、回数を増やすことで、父の肺炎は食い止めることができているようで、今の介護施設では問題が発生していない。新しい介護施設まで私の自宅から歩いて30分で着く。8歳の孫(女)と5歳の孫(男)からすると、ひいおじいさんということになるが、パパのパパのパパだと教えたら、孫たちは、おもしろがって、道すがら、パパのパパのパパと繰り返していたが、ひいおじいさんと会うと、神妙な顔になった。
 私が大学生の頃、父が吉田秀和の「私の好きな曲」という本を突然プレゼントしてくれたことがある。残念ながら、その本には当時の私の好きな曲がほとんど入っていなかった。今になってみれば、嗜好の違いで流せる気もするが、当時は、仲間に入れてもらえない子供のような気持ちがした。その本の中に、フォレの「ピアノと弦のための五重奏曲第2番」をとりあげた文章があり、戦時中、蓄音機の箱をすっぽり布団で包み、頭をつっこんで、周囲に音が漏れないようにして、フォレの室内楽を聞くという印象深い記述がある。ああ、フォレの室内楽は、そんなに美しいのか、と思ったことだった。しかし、その頃は、フォレの室内楽を聴いても私には良さがわからなかった。
 好きな曲は変わる。私の場合は、オーソドックスにドイツ・オーストリア音楽をまず熱心に聴いた。ブラームスでクラッシック音楽の扉を開けてもらったが、その後熱中したのは、モーツァルト。司法修習生時代(22歳、23歳ころ)、同じ実務修習の東京4班に配属されていた山田俊雄さん(現、当事務所顧問)がモーツァルト好きとわかって、好きな曲を言い合った思い出がある。私は、当時、モーツァルトのピアノ協奏曲に熱中していて、きっとその話をしたと思う。バレンボイムがいい、とか言っていたはずである。
 それから45年ほどたった。今日は、バッハの好きな曲を書く。フランス組曲(ピアノ演奏の方が好き。2番が特に好き)、パルティータ(ピアノ演奏の方が好き、どの曲も好き)、平均律クラヴィーア曲集(リヒテル)、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ(コーガンとリヒター、どの曲も)、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ(マイスキーとアルゲリッチのチェロとピアノの演奏、どの曲も好き)、管弦楽組曲(どの曲も)、ブランデンブルク協奏曲(どの曲も)、二つのヴァイオリンのための協奏曲、チェンバロ協奏曲(2台のためも、3台のためも、4台のためも。グールド、どの曲も)、ゴールドベルグ変奏曲(入り込んでいるグールド、写真参照)、前奏曲とフーガイ短調(BWV543)や幻想曲とフーガト短調(BWV542)やパストラル(BWV590)などのオルガン音楽、カンタータ集(リヒター、まだ全曲を聴いていない)、マタイ受難曲から「憐れんでください、神よ」、「愛ゆえにイエスは死のうとされています」のアリア等々。