大村謙二郎「都市プランナーの雑読記-その41/リディア・フレム(友重山桃訳)『親の家を片づけながら』」

都市プランナーの雑読記-その41

リディア・フレム(友重山桃訳)『親の家を片づけながら』ヴィレッジブックス、2007年

2022年2月4日
大 村 謙 二 郎

 随分前に買っておいたのですが、つん読状態でした。先日、仕事場の片づけをしていたときに見つけて読んだ本です。
 著者のフレムはフロイト研究で知られる精神分析学者の女性で、ベルギー・ブリュッセルに在住のフランス人です。両親はユダヤ系ロシア人の血をひく家系です。
 父が亡き後、ひとり暮らしをしていた母が亡くなり、一人っ子の著者が残された一軒家を片づけながら、母親が残した数多くの品々(著者の目から見れば、数多くのガラクタ)、父親の残したモノの処分に逡巡したり、悩んだりしながら、いろいろな思い出、感情を綴ったエッセイです。
 父も母も第2次大戦期にアウシュビッツなどの強制収容所に収容され、過酷な体験をしましたが、娘にはその苦しい、耐えがたい体験には口を閉ざしていたようです。しかし、母親が残した品々から、当時の体験を想起させる断片が見つかってきて、著者はその両親の思いを反芻しようとします。
 また、一人娘であったフレムは父親とはまずまずの関係だったようですが、母親とはしっくりいかず、折り合いが悪かったようです。
 そういった苦い思いを持ちながら、家の片づけをする中で、亡くなった母親との対話を取り戻そうと著者は書き連ねています。一貫したまとまった主張があるわけではないですが、静かな描写と思索に胸に迫るものがありました。自分がこの先、子供達に何を残していくことができるのか、深く考えさせてくれる書です。
 今回のコロナパンデミックによって、死者との別れが出来なくなる、あるいは弔いの儀式が出来なくなる事態が増えてきました。歴史的に多くの人命が失われるような災害、パンデミック等の後で人々の死生観が大きく揺さぶられてきたと思います。私自身、はっきりした死生観を持っていないのですが、メメント・モリという言葉の意味をあらためて考えさせられます。