インタビュー 小澤英明 (Part3)

今回も前回に引き続いて岩瀬香奈子さんにインタビュアーになっていただいて、弁護士小澤英明にインタビューをしていただきました。

岩瀬:本日は、先生の区画整理との関わりについてお話しいただきたいのですが、そもそも区画整理とは一体何なのですか。

小澤:土地を計画的に再配分する仕組みです。もともと計画がないか計画があってもお粗末な計画のもとに存在している宅地を新たな計画のもとで配置し直すものです。従前の土地―これは「従前地」と呼ばれます。の権利関係がそっくり従後の土地―これは「換地」と呼ばれます。に移行するところが大きな特徴です。従前地と換地とでは、土地の形状も大きさも位置も変わるのが通常です。多くの場合、換地の面積は、従前地の面積より減らされてしまいます。これを減歩(げんぶ)と言うのですが、減らされた土地はどうなるのかと言いますと、比喩的に言うと、かき集められて、道路や公園の土地になったり、あとは保留地となったりします。例えば、ショッピングセンター用地を保留地にして、これをショッピングセンター事業者に売却し、売却代金を事業資金にあてるといったことになります。事業資金の多くは工事資金や補償金に充てられます。地権者はまったく現金を出さずに、新たに計画された土地を取得でき、従前地に建物があったような場合は、相当手厚い再築補償で新築建物を建設したりできるのです。

岩瀬:その区画整理に関わられた経緯はどういうことからですか。

小澤:実は私は、高校の時から建築や都市に興味があり、好きだったんですね。ただ、大学に進む段階で法学部を選択しました。数学は得意だったのですが、物理や化学は好きだとは思えなかったので、理系ではないなと思ったのです。ただ、弁護士になっても、やはり建築や都市に興味があって、弁護士を3年やって、思い切って東大の都市工の修士課程に入りました。修士課程を終えてまた弁護士に戻ったのですが、そのような経歴だったので、西村眞田法律事務所(現西村あさひ法律事務所)に入ったあとも、周囲に不動産をやりたいと話していました。そのため、財団法人区画整理促進機構のアドバイザーの話が来て、そこに集まっていた民間事業者の方々と親しくなったというのが最初です。

岩瀬:民間事業者とはどういう事業会社ですか。

小澤:ゼネコンとデベロッパーですね。その時知り合った人たちとは今なお親しくしていまして、その広がりで区画整理の仕事にたずさわることになりました。

岩瀬:区画整理の仕事は、西村眞田法律事務所の中でもかなり異色だったのではないでしょうか。

小澤:はい。ただ、当時は仕事になるものはほとんどなくて、民間事業者の人たちと区画整理のいろんな問題を議論したりして楽しみながら学んだということが多かったですね。仕事らしい仕事が入ってきたのは、バブル崩壊による地価下落で保留地が売れずに土地区画整理組合が破綻してからです。まちづくり区画整理協会の顧問になったこともあり、協会に相談のあった破綻組合から相談を受けるようになりました。ゼネコンやデベロッパーが業務代行者であった組合は、業務代行者が保留地を高い価格で買わざるをえず、その分、組合は助かったのですが、業務代行者がいなかった組合は悲惨な状況になりました。

岩瀬:倒産したのですか。

小澤:事実上の倒産ですね。ただ、土地区画整理組合は公法人で破産できないと言われており、事実上塩漬け状態になりました。事業が途中で頓挫し、施行地区が工事途中で放置されるのも問題ですが、悲惨と申し上げたのは、組合の債務に個人で連帯保証をしていた理事さんたちがその責任を問われたことです。そのような破綻した事例をいくつか頼まれ、再生させることができました。

岩瀬:バブルが崩壊するまでそのような事態はなかったのですよね。

小澤:はい。したがって苦労しました。金融機関に債権カットをお願いするにあたっては、地権者にも賦課金の負担をしてもらうなどしないとまとまりません。綿密に考えて、解決案をさぐり、関係者を説得してゆきました。その過程で、地方公共団体の中には、逃げるだけの公務員も多くて閉口しました。もっとも例外的にすばらしい方々もいました。また、大企業の対応もさまざまでした。ある大企業の法務部の若手がこれまた会社の社会的責任にまったく無自覚で、しかも実質的な損得を勘定できずに、「ノー」ばかり繰り返すものですから、閉口したこともありました。破綻した組合の再生の過程で、人間の身勝手さも人間のすばらしさも様々に知ることができ、私にとっては大きな経験になりました。また、先が見えなくともおそれずに、正しいと思う行動をとれば、道も切り開かれるということの自信も得られました。

岩瀬:先生は、区画整理では本をお書きにはなっておられないでしょうか。

小澤:論文は多く書いていますが、著者名に名前のある著書はありません。ただ、もう10年以上前から、新日本法規の加除式「土地区画整理の実務」という本を分担執筆しています。新日本法規は、しっかりした会社で、毎年、この本をアップデートするために各種資料を集めてくださって、編集会議を開かれます。編集会議のボスは、弁護士の大場民男先生です。もう80歳なんですが、非常にお元気です。好奇心旺盛で若々しいですね。ご著書は数えきれないくらいです。最近も「条解・判例 土地区画整理法」を出されました。この会議には最近まで弁護士の松浦基之先生も入っておられました。松浦先生もほぼ同じお年頃ですが、名著「土地区画整理法」のコンメンタールの著者です。この両巨頭がおられたので、都市計画の母というべき土地区画整理の事業が大きな混乱もなく成果をあげてきたと思います。お二人の歩みは弁護士のひとつの理想型とも言えますね。編集会議には大阪の弁護士の坂和章平先生もおられます。坂和先生の好奇心も相当なもので、今や弁護士よりアジア映画評論家の方で有名かもしれません。

岩瀬:区画整理の今後についてお話いただけますか。

小澤:新市街地での事業の数はずっと減ると思いますが、コンパクトシティを進める過程で、市街地を集約させる手法として注目されるかもしれません。ただ、これは今後の検討課題で、当面は、既成市街地の再整備の手法として、再開発と合わせて活用されるでしょうね。

岩瀬:区画整理と再開発とはどういう関係にあるのですか。

小澤:土地区画整理が平面的に土地を再配分する手法としたら、再開発は立体的に土地を再配分する手法です。必ず建物の新築を伴うところが区画整理とは違うのですが、手法は非常に似ています。なお、一般に、「再開発」というと既成市街地を作り直すという意味で捉えられていますが、それは、いろんな手法で可能であって、その一つの手法が都市再開発法で定められている再開発の手法です。また、再開発と言うと、既存建物を取り壊して、新しい建物を建てるというイメージでしかとらえられていませんが、今後は既存の建物をうまく修復していく事業も一種の「再開発」として、重要だと思います。問題は、今後大事にしていきたい魅力ある建物が一体どの程度日本にあるのかということでしょうか。

岩瀬:先生が区画整理に関わられて四半世紀くらいでしょうか。これまで関わられて記憶に残る方々も多いでしょう。

小澤:はい。区画整理促進機構の民間事業者研究会のメンバーの方々には非常に親しくしていただきました。多くはゼネコンやデベロッパーの方々でしたが、その方々が皆さん慕っていた先生に、もと住宅公団の清水浩さんがいらっしゃいました。先年突然亡くなられましたが、皆さん「清水先生」、「清水先生」と慕っていましたね。私も区画整理の右も左もわからない頃からかわいがっていただきました。清水先生は、港北ニュータウンにおける申出換地を当時の所長だった川手昭二先生とともに引っ張って実現されました。川手先生は後に筑波大の教授になられましたが、このお二人の柔軟な発想が、日本のまちづくりにもたらした恩恵は言葉にできないくらい大きいと思っています。それまでは、原位置換地主義にむやみに従って、何のための区画整理かわからないような事業もあったのですが、お二人のおかげで、申出換地という地権者の意向を最大限配慮した換地手法が実用化されました。今や多くの事業でこの手法が用いられ、多くの人々が満足するまちづくりが進んでいます。清水先生は、自己の利害にとらわれず信念をもって進めば打開できない障壁はないという純粋なお気持ちで一生を終えられた方で、私は心から尊敬しています。その清水先生を支えられた川手先生もすばらしい先生です。横浜市の土地区画整理の審議会で私が委員をつとめたときに、川手先生は審議会の会長をされていました。そのときは地権者から選ばれた審議会の委員の強い反対で事業化できなかったのですが、民主的な議事運営を近くで学ばせていただき、感銘を受けました。このお二人のお名前は後世に残したいですね。

岩瀬:本日は長いあいだありがとうございました。

小澤:こちらこそどうもありがとうございました。