弁護士小澤英明「アメリカの原風景 ― 池口史子、エドワード・ホッパー ―」

アメリカの原風景 ― 池口史子、エドワード・ホッパー ― (2023年10月)

2023年10月20日
小 澤 英 明

 先日、新宿駅から西新宿のビル街を歩いて、目指すビルを探したのだが、自分が年をとったからか、一街区が大きすぎて閉口した。秋の日暮は急で、歩いているうちにどんどん暗くなっていくようで心細い。歩車分離はわかるけれど、歩行者優先の道路ではないなと、ブツブツ。ここより私の事務所のある内幸町あたりがよほど歩きやすい。この街路計画は失敗だったのではないかとも思った。もっとも、新宿西口の発展にはこの街路計画がプラスだったのかも知れず、不用意に批判すべきでもないが、目的地のビルに着くと、その建物も巨大で、その中の目的の会議室探しにも時間がかかり、これは、ヒューマンスケールの問題かもしれないと思った。
 アメリカ人なら不満もないかもしれないと思うと、ニューヨークが思い出された。私は、アメリカでは、マンハッタンの西岸北部からハドソン川をワシントンブリッジで渡ったすぐのニュージャージー州フォート・リーという日本人と韓国人の多く住む町に住んでいた。1990年から2年間だが、私の行動範囲はほぼマンハッタンで、最初の1年間のコロンビア・ロー・スクールも、2年目のデューイ・バランタイン法律事務所もマンハッタンにあったので、ニューヨークの空気を毎日のように吸っていた。自宅からすぐのところに、ワシントンブリッジのたもとのバス停があり、バスに乗るとすぐにマンハッタンにたどり着いて、南に向かう地下鉄Aラインに乗り継ぐと、コロンビア大学に着いた。当時は、まだニューヨークは治安が悪い時期だったが、不思議に怖さはなかった。ただ、あの地下鉄の中の独特なにおい(多分、香水起源)には、いつまでも慣れなかった。
 ある日、コロンビア・ロー・スクールのT君(富士銀行から派遣されていた)のマンハッタンの高層のアパートメントを同級生日本人数名で訪ねたことがあった。そこでの夕刻からのパーティで、したたかウイスキーを飲んだ。これはヤバイかもしれないと思いつつ、ニュージャージー州の自宅にバスで向かったのだが、帰路はリンカーントンネルでハドソン川を渡ることになった。このトンネルはマンハッタンの西岸の中央あたりからニュージャージー州に渡るトンネルである。それまで利用したこともないのに、経路に自宅近くのバス停があるので、何とかなるだろうとバスに乗り込んだ。しかし、不覚にもバスの中で熟睡してしまって、運転手さんに起こされた。目が覚めるとバスの車庫の中。「おいどうした、もうバスはないよ、帰れるかい。」みたいな声をかけられ、正気に戻った。それから車庫を出た時の何とも言えない心細さを思い出した。ああ、私にはあれがアメリカの原風景だ。
 その後日本に戻って、池口史子さん(1943- )の個展を見たとき、これだ、これがアメリカだと強く感じた。ニュージャージー州のどこかわからないバスの車庫から夜間外に出たときの空気感(寂寥感)と同じものが、池口さんのいくつかの絵に見事に表現されている。後に、池口史子さんは、画家エドワード・ホッパー(1882-1967)に私淑されていることを知った。ホッパーの感性と池口さんの感性が共振し、そこに私が反応した。