「VOC規制」
2018年7月3日
鷺 坂 長 美
環境省へ移って3年目のころ(2003年)環境管理局という局の総務課長になりました。現在の水大気環境局で環境庁時代の大気保全局と水質保全局の流れをくみ、いわゆる公害規制の中心的な役割を果たすところです。
当時その局で議論されていたのはPM(Particulate Matter)対策、粒子状物質対策です。粒子状物質は大気汚染物質の一つで、粒径の大きなものは鼻腔等でとどまりますが、小さいものは呼吸器系まで侵入し、気管支喘息等の原因になります。粒径が10㎛以下で空気中に浮遊するようなもの(SuspendedのSをつけてSPM)について環境基準を定めていましたが、その達成率が低くその対策が急がれていました。
粒子状物質ができる原因はいろいろです。主に物の燃焼により発生しますが、窒素酸化物やVOC揮発性有機化合物(Volatile Organic Compound)等のガス状物質が大気中で変化しても生じます。自然起源のものもあります。土壌、海洋、火山等です。燃焼から出てくるものは工場のばい煙規制や自動車の排ガス規制ということで規制されていました。しかし、燃焼系でも公道を走らない車(ショベルカー、ブルドーザー等)からの排ガスはまだ手が付けられていませんでしたし、大気中で生成する原因物質であるVOCの対策も基本的にしていませんでした。環境基準の達成率が低いのは大陸からの汚染物質の影響だ、という議論もありましたが、このまま放置することもできません。VOC対策が検討されました。
VOCは大変多くの種類があります。塗料、接着剤、インク等の溶剤、IT機器の洗浄等にも使われています。また、いろいろなところから出てきます。工場の排出口だけを見張っていてもだめです。製造工程のパイプの継ぎ目や石油タンクからも漏洩しますし、屋外塗装もあります。もっといえば植物由来のものもあります。いろいろなところに使われ、いろいろなところから出てきますので、対策を講じるといってもなかなかうまくいきません。
一般に規制措置を講ずる場合には削減目標をたててそれを達成するための規制の強度が検討されます。そして、比例原則、目的と手段の間に均衡がとれていなければならない、という考え方がありますが、今回はそうはいってもいられません。新しい発想が必要でした。当時の局長(西尾哲茂さん)が突然「ベストミックスだ!」といったのを覚えています。いろいろな政策を組み合わせて一番効果的な方策をとるというような意味でしょうか。排出口があって規制できるところは規制し、そうでないところは事業者の自主的な取り組みに委ねる、ということです。例えば、印刷工場などは排出口で規制される、一方造船会社の屋外塗装は規制されない、しかし、造船会社は自主的に低VOC塗料を使うとか塗着率をあげるとかしてVOCの排出を抑える、というようなことです。規制部分だけをとりだしたときに比例原則上どうかということでも自主的取り組みを合わせて全体で考えてみればマッチしている、削減目標(5年で排出量を3割削減)に関しても規制部分のみではその達成は覚束ないが、自主的取り組みと合わせて達成しようということです。事実、その後4割以上の削減が達成されています。
自主的取り組みを入れたことで法律の中に「国民の努力」として排出抑制に努めることが書かれました。お菓子のパッケージ印刷にVOCのない水性インクを使うとくすんで見えて中のお菓子が美味しく見えないと言われましたので、そういったパッケージのものを買いましょう、ということなどです。政府が国会に提出しようとする法案は閣議で決定しなければなりませんので、案の段階で各省庁と協議して、こういう文言でいいか、という作業があります。法令協議といいます。ここの条文についてある役所からこのような質問がありました。「みかんの皮を剥けばVOCがでるが、それを抑制するように努めるとは、どうしろということか」です。日曜大工で低VOC塗料の使用を推奨することは含みますが、そこまでは想定すらしていません。法令協議にはいると担当者同士は毎晩徹夜のような状況になります。ちょっとしたユーモアを交えたのかもしれませんし、質問数が多ければ評価されるような風潮もあり、本気で聞いていたのかもしれません。しかし、だれが見ても無駄なやり取りのように思えます。今や各省庁のこうしたやり取りも基本的に情報公開の対象です。さすがに、こういった無駄なやり取りはなくなっていると思います。