鳥語(2019年4月)
2019年4月25日
小 澤 英 明
先日、上村松篁の「鳥語」と題する絵を観た。上村松篁の母親は上村松園で、息子が上村淳之である。松園は今なお美人画の世界では圧倒的な人気がある。私も、その絵の清潔な美しさは好きだが、実は、その息子の松篁はもっと好きかもしれない。松篁は鳥の世界を切り開き、その息子の淳之は鳥一辺倒だが、松篁には鳥以外の絵も多い。しかし、鳥の絵が一番良いように思われる。2年ほど前、鴛鴦(おしどり)を描いた絵を観て、非常に美しいと思ったことがある。先日観た絵は、二羽の鳥が向かい合って、さえずっている様子のもので、それに「鳥語」と題されていた。松篁には「鳥語抄」という本もあり、多分、このタイトルには思い入れがあると思うが、このタイトルを見て、中学の頃を思い出した。
私は、親元を離れて鹿児島のラ・サール中学に入学した。ラ・サール学園は、カトリックの学校で、フランス起源である。ただ、日本のラ・サール関係の学校や施設はすべてカナダ管区のようで、寮の舎監の先生も含めて外国人ブラザー(修道士)はカナダ人であった。フランス系カナダ人なので、ブラザー同志はフランス語で話していた。フランス語が世界で一番美しいと聞いたことがあったのだが、ブラザー同志の会話を聞いて、そうかなあと思ったことがある。高校まで6年間もラ・サール学園の中にいて、外の空気はほとんど吸わなかったので、私の人格形成におそらく、学園の教育は多大な影響を及ぼしていると思う。
当時の校長の大友先生もブラザーで、その朝礼の話はいつ聞いても退屈することがなかったのだから、相当に感化されたことと思う。大友先生の話がうますぎたのかもしれないが、私にその話を受け入れる素地があったのかもしれない。私の友人のA君は、幼少の時に洗礼を受けており、構内の教会で行われていた石井先生(ブラザー)の夕方からの聖書講義に参加していた。私も興味本位でときどきついて行った。その講義も私には興味深く、その雰囲気(serenityといったもの)も好きだったので、キリスト教との相性は良かったのだと思う。授業では、中学のときに「倫理」の授業があって、これは今思うと、キリスト教倫理だった。この授業は、日本人のブラザーや神父さんからなされたのだが、その授業の中で、人間と動物との違いは人間には言葉があるが、動物には言葉がないと言われたことがあった。これには多くの生徒が反発した。私も、人間にはわからない言葉を話しているだけじゃないのかと思ったことがあり、そのことを松篁の「鳥語」で思い出したのである。
ラ・サール時代、成績表は、テストごとに、本人の点数が書き込まれ、学年の最高点と平均点が書かれて渡されていたように思う。私は、倫理の成績だけはいつも大変良かった。ある試験で、「良心と理性と自由意志との関係について述べよ」という問題が出されたことがあった。待ってましたとばかり、教えられていた答えを書いたのだが、友人から、「B君はこの前の倫理の試験は白紙で出したらしい。」と聞いて頭から冷や水をかぶせられた。B君は非常に優秀な男で、何とでも書けたのだが、あえて白紙で出したわけである。すごいと思った。ただ、多くのブラザーが母国カナダを離れて日本で修道院生活をされていたことも軽く考えることはできなかった。14才の頃のことである。
(ラ・サール学園のホームページ)