藤木英雄先生(2019年7月)
2019年7月29日
小 澤 英 明
1974年(昭和49年)4月に私は東京大学文科一類に入学した。1年の冬学期と思うが法学概論の授業があって、法学の授業が始まった。当時、駒場では定年で退官される先生が1年生に法学概論の授業をもたれており、私たちの学年は四宮和夫先生だった。私には、その授業がつまらなくて、文科一類を選んだことを後悔した。ところが、翌学期、行政法の原田尚彦先生が民法の米倉明先生の書かれた「法学入門」の本を使って行われた授業で、判例の面白さに目覚めた。原田先生の教え方も良かったが、面白い判例を集めて入門書を編まれた米倉先生には今も感謝している。それまでは法律の「ホ」の字もまったくわかっていなかったのである。
大学2年の冬学期から、憲法、民法、刑法が始まった。憲法は小林直樹先生、刑法は藤木英雄先生、民法は加藤一郎先生だったが、加藤先生が途中で網膜剥離になられ、急遽星野英一先生に交代された。既に、原田先生の講義で法学に目覚めていた私は、どの講義も熱心に聞いた。どれも興味深かったが、刑法総論は大変に興味深かった。大学3年の夏学期からは本郷に移って、はじめてゼミに参加できることになった。私は、藤木先生の刑法のゼミを選んだ。このゼミには、長く東大の教授をされ現在最高裁判事の山口厚先生や現在慶大の教授をされている伊東研祐先生がまだ駆け出しの助手で参加されていた。ゼミの一番若い私たち3年生は、法学をかじったばかりの頃で、助手の方々も大人が小学生を見るような目で私たちを見ておられたように思う。
ゼミのテーマは「行政刑法」だった。詳細は覚えていないが、ある時、過失か何かの議論で、藤木先生から私が少しほめられたことがあった。それで、有頂天になり、藤木先生を大好きになった。先生は誰にも優しかったが、知力に格段の差があるから、優しかったのかもしれない。伊東先生は藤木先生直系のお弟子さんで、陽気で話好きだったこともあり、伊東先生からは何度か親しく話かけていただいた。今でも覚えているのは、趣味を聞かれて、クラシック音楽が好きですと答えたら、つっこまれたことで、「誰が好きなの?」、「ブラームスとか」、「ブラームスはいいよね、どの曲が好き?」、「交響曲とか、ピアノ協奏曲とか」、「僕は、ピアノ五重奏曲が好きだな。」、「あっ、あれいいですね。」と最後、そこで嘘をついたかどうか覚えていないが、恥ずかしながら、ピアノ五重奏曲は聞いていなかったのである。
その楽しいゼミの経験がありながら、そのあと、私は、生意気にも、藤木先生の説より、平野先生のいわゆる結果無価値説が明快だと考えて、司法試験準備も総論は平野先生、各論はなんと京都大学の中山研一教授の教科書を使って、結果無価値説で通した。その時は、それが優れていると思ったからいい気なものである。今になると、藤木先生こそが世の中の事実をごまかすことなくとらえて、現実の人間社会を前提に真摯に議論をされていたのではないかという気がして、申しわけなく思う。ゼミから1年も経たない翌年、私たちが4年のとき、藤木先生は忽然として亡くなられた。私たちの講義をもたれていたときからきっと体力的に無理をされていたのではと思う。告別式は暑い日だった。