「英語から日本語へ」顧問早水輝好

コラム第10回

英語から日本語へ

2021年5月24日
早 水 輝 好

 コロナの感染が始まった頃、小池東京都知事や専門家会議の尾身先生が「オーバーシュート」「ロックダウン」といったカタカナ語を連発し、河野外務大臣(当時)が日本語で表現して欲しいと苦言を呈したことがあった。河野大臣は英語での演説もこなれていて、たぶん普通に英語が話せるのだろうと思うが、日本語尊重派とお見受けした。
 発言に英語が多くなるのは、以前英語をよく使った経験があるからで、小池知事はカイロ大学に在籍されており、尾身先生も国際経験があるのだろうと思ったらやはりWHO(世界保健機関)で要職に就かれていたと後で聞いて納得した。

 言葉はなるべく翻訳した方がいいのだろうが、英語をそのまま使いたくなる時があるのは私も海外での勤務経験があるのでわかる。語感の違いがどうしてもあるからで、オーバーシュートを「感染爆発」、ロックダウンを「都市封鎖」と発言したら、必要以上の恐怖感をもたらしたかもしれないし、そもそも同じ意味だという保証もない。
 私も「Clarifyして」とつい使うことがある。意味をはっきりさせて欲しい、と言うときに使うのだが、日本語であれこれ言うより(相手に伝わるかどうかは別にして)自分の言いたいことは表現しやすい。identify(同定する)というのも日本語にしにくい言葉だし、encourage(奨励する)やreluctant(気が進まない)は日本語にもなるが、元の英語の「感触」が消えてしまう気がする。もっとも、逆もまた真なりで、典型的な例が「もったいない」である。英語で意味が近いのはwastefulだろうが、ずいぶん語感が違うので、Mottainaiが日本の資源節約精神を表す言葉としてその筋では定着している。

 じゃあ英語をそのまま連発すればいいかというと、それも困るなあと思うのがパソコンやネットの用語である。最初の頃は多少翻訳の意欲があったのかもしれないが、パスワードを間違えると「パスワードが不正です」と表示され、俺は「不正」はしてないぞ、ただ間違えただけだ、とパソコンに文句を言っていたことがある。元の英語が何なのか、ずっと疑問に思っていたが、最近wrongだったのかもと気づいた。「間違っている」の他に「不正な」という意味もあるからである。だとしたらセンスがない、というよりむしろ誤訳である。今は言葉が多すぎて翻訳しようとする意欲も薄れたようで、ほぼ全てがカタカナのままである。最近はやりの二重認証でいちいち「サイン・インが完了しました」と言われるとやはりfrustrationがたまる。(おっと、英語を使っている。)

 もともと英語を日本語でどう表すかというのは先人たちも迷いながらやってきたのであろう。例えば映画のタイトルである。「Gone with the Wind」を「風と共に去りぬ」としたのは名訳だと思う一方で、「サウンド・オブ・ミュージック」は、平易な単語だからかもしれないがそのままで映画の雰囲気を伝えていると思う。
 ただ、英語と日本語は文法も違うのでいつもうまくいくとは限らない。子供の頃の人気人形劇「サンダーバード」のCGによる新作が数年前にNHKで放映され、題名が「サンダーバード ARE GO」だったので、あれ?と思った。この場合のGoは「行く」という動詞ではなく「準備完了」という意味の形容詞なのでそこはいいのだが、「サンダーバード」が単数形なのに「are go」はおかしい。同じように思った朝日新聞の記者がいて、英語から日本語への翻訳問題に関する記事が連載された。そもそも、最初の「サンダーバード」が実は「Thunderbirds」と複数形で、サンダーバード1号、2号といったメカが複数あるのでThunderbirdsなのである。カタカナだと「サンダーバード」と書きたくなるのもわかるが、サンダーバードCG版の最新作が最近CSチャンネルで放映されて二カ国語放送もあったので、サンダーバード1号が単機で発進する場面で「サンダーバード アー ゴー」と吹き替えていたところを確認したら、元は“Thunderbird 1 is go!”だった。ここは「サンダーバード1号発進!」と訳せばよく、そのあたり、もう少し正確さを保つ努力して欲しいと思う。「私は英文法を知りません」とスタッフがわざわざ言っているように思えるからである。(なお、作品自体は結構よくできていて面白かった。ちなみに日本語版制作は別件で有名になった「東北新社」である。)

 Englandが「イギリス」になったのは江戸時代に遡るらしいが、英語がどんなカタカナ語になるかはやはり最初の頃に使った人の責任が大きい。松任谷由実の「守ってあげたい」がはやったとき、“You don’t have to worry”の「worry」が「ウォーリー」と発音されていて、あれ、そうだったっけ、と思っていろんな辞書を調べたが、当然ながらどれを見ても「ワリー」という発音しか存在しなかった。「ウォーリーを探せ」という絵本があるが、これは「Wally」だから元が違う。綴りのoに引っ張られてローマ字読みになったのだろう。でもミュージシャンが英語で詩を書いたのならちゃんと発音してよ、と当時思っていた。これで英語の試験の発音問題を間違えた人も結構いたのではないか。
 最近気になるのが「アワード」である。「○○賞」が「○○アワード」になっているのだが、元の英語「Award」の発音はカタカナで書くと「アウォード」であって、決して「アワード」にはならない。これも綴りに引っ張られたローマ字読みである。最初の頃は「アワード」「アウォード」が並立していて、現にサッカーJリーグでは「Jリーグ アウォーズ」と先ほどの複数形も考慮した表現を今でも使っている。ところが「アワード」派がどうも勝ったらしく、最近は猫も杓子も「アワード」である。使っている人が本当の発音を知っているのかどうかはわからないが、どうしても英語を使いたいなら、元の発音に近い形で表記して欲しいと思う。私が環境省にいた時に、担当者が何かの新しい表彰制度を相談にきて「アワード」を使っていたので名称変更を指示したことがあるが、その後の環境省は「アワード」を連発していてお恥ずかしい。

 英語だろうが日本語だろうが「言葉を大事にする」ことは世界共通の重要事項ではないか。そんなことどっちでもいいでしょ、という人には、こう言うことにしている。「じゃああなたは『STAR WARS』を明日から『スター・ワーズ』と言って下さい。」

スター・ワーズ??