「花物語」(2021年8月)
2021年8月2日
小 澤 英 明
寺田寅彦(1978−1835)の随筆に「花物語」というものがある。明治41年10月「ホトドキス」に掲載されているので、30歳の頃の作品である。翌年には東大助教授に就任してドイツに留学している。「昼顔」、「月見草」、「栗の花」、「凌霄花(のうぜんかずら)」、「芭蕉の花」、「野薔薇」、「常山(じょうざん)のはな」、「竜胆(りんどう)花」、「楝(おうち)の花」とそれぞれタイトルがついた小編で構成されている。いずれも、かなり読みごたえがある。一文、一文の情報量が多い。明治の終わりの頃の日本を知るには得難いものばかりである。それぞれのタイトルにある花を正確に思い浮かべることは、今の日本人には難しい。実は、私も正確に思い浮かべられたのは昼顔くらいで、スマホでチェックしていくと、他は全部外れた。凌霄花と竜胆は、スマホで写真を見ると、ああ、そうだったと思ったが、他はそのレベルにも達しなかった。園芸品種にはある程度詳しくとも、日本古来の草花にこれほど無知だとは情けない。周囲にないからわからないと言い訳ができることかどうか。
それぞれのタイトルのもとの小編はどれも印象深い。この中で私が好きなのは「野薔薇」だが、シューベルトの「野ばら」を聞いていたとき、一体、これまで何を思い浮かべて聞いていたのか。スマホで確認すると、美しい白い花である。花のかたちは一重咲きである。夏の山路での出来事が書かれている。
歩いていて、寅彦は清水を見つける。「崖からしみ出る水は美しい羊歯(しだ)の葉末から滴って下の岩の窪みにたまり、余った水は溢れて苔の下をくぐって流れる」と描写されている。一休みして、「少し離れた崖の下に一株の大きな野薔薇があって純白な花が咲き乱れている」ところで、寅彦は「近寄って強い薫りを嗅いで小さい枝を折り取った」。しかし、人の気はいがするので、ふと見ると、茂みの中に柴刈りの女が一人休んでいた。「白い手拭を眉深にかぶった下から黒髪が額に垂れかかっている。思いもかけず美しい顔であった。・・・人に臆せぬ黒い瞳でまともに見られた時、自分はなんだか咎められたような気がした。思わず意気地のないお辞儀を一つしてここを出た。」その後、折ってきた野薔薇をかぎながら2、3町(1町は約109mである)行くと、今度は向こうから柴を負った若い男と出会う。「逞しい赤黒い顔に鉢巻をきつくしめて。腰には研ぎすました鎌が光っている。行き違う時に『どうもお邪魔さまで』といって自分の顔をちらと見た。」とある。その後、寅彦は、「自分はなんというわけなしに手に持っていた野薔薇を道端に捨てて」道を急いだと、この小編を結んでいる。
国語の入試問題であれば、①なぜ、寅彦は女に「思わず意気地のないお辞儀」をしたのか、②なぜ、寅彦は男と会ったあと野薔薇を道端に捨てたのか。という設問が出てきそうである。読解力というか勝手な想像力が試されるが、この手の問題は、高校の頃苦手だった。
「野薔薇」は、文庫本2頁ほどの随筆であるが、明治の終わり頃の雰囲気を味わえる佳品である。すれ違うときに「どうもお邪魔さまで」なんて声をかけていたんだ。角川ソフィア文庫「科学歳時記」に収められている。