「武田五一」弁護士小澤英明

武田五一(12月)

2018年12月25日
小 澤 英 明

 私は急にこの建築家に興味をもった。と言うのは、昨年立て続けに、谷藤史彦「武田五一的な装飾の極意」(水声社)と酒井一光・石田潤一郎「武田五一の建築標本」(LIXIL出版)とが出たからである。武田は、1872年に生まれ、1938年に没している。京都大学の建築科の創始者である。京都府立図書館等の設計で有名である。
 昨年出た上記2冊を目にするまでは、私の中では、先年修復が話題になった求道学舎の設計者として気になったくらいであった。京都府立図書館の写真を見ていい建物だと思った記憶もあるが、その程度だった。しかし、上記2冊が武田の文様の原画や武田が収集した建築材料を数多く紹介しているのを見て、俄然興味をもった。すべてにおいてセンスがいい。この種の文様や建築材料、石とかタイルとかガラスとか、全部私の好きなものばかりで、これらの本を見て、こういうものに熱をあげても、それが仕事に直接つながるなんて、なんと建築家の仕事は楽しいのだろうと思った。
 谷藤の著書の95頁には、武田の東大での卒業設計(1897年)の「音楽学校とコンサートホール」の透視図が載せられている。写真が小さいが、一目ですばらしい建物設計であることがわかる。明治30年には、このように西洋建築を自家薬籠中のものにしていた学生もいたのである。しかも、卒業論文は茶室論である。それだけではない。肘掛椅子も手がけている。谷藤の著書の113頁に芝川又右衛門邸「肘掛椅子」1912年とある写真を見ても、すばらしい。この椅子にどれほど武田のオリジナリティがあるのかは確認が必要だが、美しく、この人物の力がわかる。
 井上章一の本の孫引きだが、武田は、コルビジェなどをくさしていたようで、また、当時流行の無装飾の新しいスタイルを「あれは君!工場建築ですよ!」と言い放ったらしい(井上章一「現代の建築家」169頁)。こういうところが好きである。私は、モダニズムの建築にはほとんど感動したことがないからである。工場ならいいよね、とつぶやくと気持ちがいい。ただ、先日、藤森照信が「オフィスというのは工場です、情報の工場です。」と書いているのに接した(藤森照信・増田彰久「銀座建築探訪」30頁)。そう思えば、腹もたたないかもしれないが、そう割り切る気持ちにもなれない。