「夢・努力・運・偶然」顧問早水輝好

コラム第13回

夢・努力・運・偶然

2021年11月8日
早 水 輝 好

 前回のコラムでご紹介した広瀬正氏の「エロス」は、二者択一というよりは、偶数か奇数かという程度の選択で偶然で決まった主人公の人生について、その選択がなされなかったら、まわりの人たちの生活も変わり、「風が吹くと桶屋がもうかる」のように「つぎつぎと連鎖反応を起こして、だんだんひろがって、そのあとの日本の姿まで変わっていたかもしれない」という話として、その人生と別の人生が描かれている。物語のどんでん返しは、まさしくその行き着いた先の「桶屋」的なできごとである。

 「風→桶屋」のような偶然の積み重ねでなくても、生きている間には運・不運がどうしてもある。私の場合も、結構人生に影響したと思われる「運」が2つあった。
 前回のコラムで環境庁への採用の際に先輩から大学の研究室に電話があったと書いたが、名簿にあった自宅(下宿先)の電話につながらなかったので研究室にかけたとのこと。不審に思って人事院に尋ねたら、何と人事院が電話番号を名簿に書き間違えていたことがわかった。研究室の電話番号を知っている先輩がいなかったら危うく就職先を失うところだった。また、環境庁に入ってから人事院の短期在外研修に応募したときに、環境庁の派遣枠が2人のところ年次では上から3番目だったので、たぶん無理と思っていたら、些細な理由で繰り上がって米国(環境保護庁:EPA)に行けることになり、そこからその後の海外への赴任や国際関係業務につながっていった。この2つの幸運がなければ、私の人生の景色は随分と違ったものになったに違いない。
 人事院研修には余談があり、それから20年が過ぎて環境省の後輩がやはりEPAに行きたいということになったので、昔のノウハウを使ってEPAの担当局長に頼み込んで送り込んだら、たまたま別の研修で米国に来ていた男性と結婚してしまった。研修の手伝いが婚活の手伝いにもなったのである。20年前から風が吹いてきて桶屋に届いた感じがした。ただ、私が家内と知り合ったきっかけも「オフィスの引っ越しで部屋が隣になったこと」であり、人との出会いは偶然の産物であることが結構あるように思う。

 その一方で、ひたすら夢を追いかけて自分の意思で人生を歩んできた人が、「あきらめなければ夢が叶う」と言うのをよく耳にする。オリンピックのメダリストに多いが、特に記憶に残っているのは2011年に女子W杯サッカーで優勝したなでしこジャパンの澤穂希選手である。彼女の経歴を見ると確かにそうだろうと思うし、メダリストの多くは子供のころからひたすら努力しており、その努力には本当に頭が下がる。
 でも、あきらめないで努力した人がみんな金メダルをとれるわけではない。だから、私はオリンピックでこの言葉が繰り返される時には、「ちょっと待って」と言いたくなる。例えば、スキー女子モーグルの上村愛子選手は、冬季オリンピックに1998年の長野から4回出場したが、7位、6位、5位、4位という結果で、最後のバンクーバーで「何でこんなに一段一段なんだろう・・・」と涙した。彼女が長野の同種目で金メダルを取った里谷多英選手と比べて努力が足りなかったわけではもちろんないだろう。「あきらめなければ夢は叶う」の裏には、きっと「あきらめずに努力したけど夢が叶わなかった」人がたくさんいると思う。運・不運もあったに違いない。しかし、その努力の積み重ねが、夢が叶わなかった人に夢が叶った人以上の幸せを運んできて欲しいと願う。

 風→桶屋のような偶然で人生が決まる人がいれば、反対に強い意志と努力で夢をつかむ人もいる。でも多くの人は、その間で、ある程度の努力をしながら、運・不運にも左右されながら生きているような気がする。「運も実力のうち」という言葉があるが、実力があってもたまたま運がなくて夢が叶わなかった人もいるだろう。「人生いいこと半分、悪いこと半分」と言うが、中には半分以上の不運を背負ってしまった人もいるだろう。生きている間には本当にいろいろなことが起きるが、努力した人が報われる、もし報われなくてもいいことがある、皆がそう思える社会であって欲しいし、自分としても、「運・不運も想定内」と割り切って、「今」を大切に小さい努力を積み重ねて生きていければと思う。
 ここまで書いて、そういえば、15年ほど前、帰宅時に自転車で転倒して額から出血したときに、たまたま通りかかって救急車を呼んでくれた人がいたことを思い出した。もしあの人がいなかったらどうなっていたかわからない。後で警察で電話番号を聞いて御礼の電話をしたような記憶があるが、その方に改めて御礼を申し上げたい。

 今年、中日ドラゴンズの山井大介投手が引退した。20年のキャリアで62勝70敗と大成功した投手ではないが、たまにとんでもなくいいピッチングをすることがあり、日本シリーズで完全試合を成し遂げる寸前で交代したピッチャーとして知られている*。彼の引退セレモニーでのメッセージが印象的だったので、今回はそれで締めくくることにする。
 「努力は必ず報われるとは限りません、ただし努力しなければ、前に進めず、道を開くこともできません。」

2007年の日本シリーズと2021年の山井選手引退の新聞記事

* 日本シリーズの山井投手:2007年の中日対日本ハムの日本シリーズ第5戦、中日の山井投手は8回まで1人のランナーも出さないピッチングで1対0で中日リード、日本シリーズ初の「完全試合」目前で落合監督が抑えの岩瀬投手に交代させ、後に物議を醸した。結局岩瀬が抑えて2人で完全試合を達成、中日は53年ぶりの日本一になった。