「佐藤功一」弁護士小澤英明

佐藤功一(2018年1月)

2018年1月29日
小 澤 英 明

 弁護士にならなかったら私は建築家になっていたと思う。高3の5月に理系から文系に転向したが、それは母校の鹿児島ラサール中・高の同級生には物理や化学ではるかに自分よりできる同級生がいて、理系の世界に進むことがためらわれたからだった。理系に進みたかったのは、建築家になりたかったからである。絵には自信があり、また、数学も得意だったので、物理や化学が好きではなかったからといって、建築に進まないという選択もどうだっただろうかと今は思う。ただ、文系を選択し、弁護士になったことに悔いはない。

 今回、30年間も在籍した西村あさひ法律事務所を退職し、独立しようと思ったときに、どういう建物で事務所を開業するかは、どういうメンバーで事務所をスタートするかの次に私の関心事だった。すぐに、この市政会館の空き室があることを知り、幸運だと思った。市政会館の設計者が佐藤功一である。
 私は、歴史的建造物の本を共著で3冊出している。いずれも白揚社からである。本田広昭氏がプロデューサーの役で、鈴木博之先生や増田彰久先生と共著である。本田広昭氏が友人と設立されたオフィスビル仲介の三幸エステートの創業25周年事業として、「都市の記憶」が出て、それに書かせていただいたのが最初だった。消えてゆくオフィスビルを惜しんで本田広昭氏が企画されたもので、増田彰久先生の美しい写真が中心の書物である。この企画に参加することができたおかげで、歴史的建造物関係の多数の方々と知り合うことができた。今は、歴史的建造物の本を読むのが余暇の楽しみになっている。昨年購入して愛読したものに丸山雅子監修「日本近代建築家列伝」(鹿島出版会)がある。

 この「日本近代建築家列伝」に佐藤功一も載っている(米山勇執筆部分)。大手門の前の西村あさひ法律事務所からオアゾの丸善に向かう左側に大手町野村ビル(写真参照)があり、いつも美しいと思っていた。建替えられた後の建物だが、旧建物(日清生命館)の設計者が佐藤功一である。今の建物は、周囲に旧建物のファサードのみが残されている。ファサードにもどこまで旧建物の素材が残されているかは知らないが、忠実に再現されているらしい。この種の建物保存を腰巻き保存と揶揄的に呼ぶこともあるが(私も呼んだことがあるが)、この建物のファサードを見ているだけで、このような保存にも大きな意味があると思うにいたった。なぜかというと、林立する超高層ビル群の中で、この建物が歩行者目線ではとても美しいからである。