「介護のこと」弁護士小澤英明

介護のこと(2020年3月)

2020年3月24日
小  澤  英  明

 昨年9月中旬から6か月、両親を自宅で介護した。もっとも、介護のほとんどは妻が行ったので、私の負担はわずかだった。この3月に、自宅からすぐ近くの介護付き高齢者施設に介護をお願いすることになったので、私たちの在宅介護の生活も終わったのだが、はじめて在宅介護の負担がわかった。転倒によるけがで母が家事をできなくなって、昨年9月に両親を引き取った。その後、母が急速に衰えた。施設への入居は母が自宅で風呂に入るのが困難になったことが一番大きな要因だったが、94歳(父)と90歳(母)の朝、昼、晩の食事の世話や掃除洗濯、それ以上に家を二人だけにして留守にしがたいという妻の精神的ストレスには大きなものがあったと思う。娘から、パパは全然手伝わない!と非難された。私なりに気疲れは相当なものではあったが、確かに家事を手伝ってはいない。
 今回の経験で、地域包括支援センター、ケアマネ―ジャー、介護認定、要支援、要介護、デイサービス、ショートステイといったもろもろの言葉の意味がはじめて実感してわかった。また、お世話にならなかったが、特養とかサ高住とかの施設の意味もはじめて知った。還暦過ぎまで、このようなキーワードを理解していなかったのは、恥ずかしいことだが、今日までこれらの言葉を知らずに過ごせたことについては、両親に感謝しなければならない。昨年8月までは二人で完全に自立して過ごしており、現在の状況からすると信じられないが、高齢者の体調の変化はある時からは急激でもあることがわかった。
 今回の介護体験で、練馬区の多くの介護関係者に親切にしていただいた。もともと社会福祉関係の仕事を選択されたということは、その適性の高い人たちだろうから不思議ではないが、ありがたいことである。両親も、何時も親切に接していただけることに感謝していた。親の介護は60歳くらいになると大きな問題になる。90歳くらいの親の介護に直面するからである。子供が自宅で親を介護することは、要介護度が高くなれば難しい。介護の技術を習得していなければ危ない場面もあるからだが、いつも様子を見ていなければ安心できないからである。そのため、介護者の自由な時間がうばわれてゆく。これが現代人には一番つらい。知り合いに東京での仕事をやめて郷里に帰り10年近くも高齢のお母様を実家でお世話した人もいる。並大抵のことではない。介護の負担は経験がないと実感できない。
 介護を始める前に、ラ・サール中学からの友人の医師のL君から、介護は育児と一緒で日々予定していないことが起きるので、そのたびに一番無難な方法を考えて対処していくしかないとの助言をもらった。また、いずれ家庭での介護は限界が来るので、短期利用を含めた施設を専門家に相談してうまく利用した方がいいとも言われた。まさに、そのとおりで、介護は、何か計画をたてて進めることが適さない領域の問題だとよくわかった。L君の助言があったので、思ってもみなかった事態が発生しても、あわてることが少なくてすんだように思う。今回、両親をお願いした高齢者施設は、評判のよい施設であり、空いていたこと自体が幸運だったが、コロナ問題で訪問を遠慮しなければならない時期に入居となってしまった。今年の春はいつもより早い。庭はもうにぎやかである。

(庭の菱唐糸)