「中野孝次」弁護士小澤英明

中野孝次(11月)

2018年11月28日
小 澤 英 明

 バブル崩壊直後の「清貧の思想」で有名である。ひょっとすると、この人のことが一番好きだったかもしれない。そのくらい、この作家の本を買って読んだ。しかし、「清貧の思想」がベストセラーになって、中野を高く評価する人ばかりではなかった。中には、多くの印税が中野に入っただろうと、中野を揶揄する人もいた。中野の本のほとんどは、エッセイである。私は中学生の頃からエッセイが好きで、中3の時の担任の先生に、「どういう本を読むの?」と聞かれて「随筆が好きです」と答えて、少し不思議そうに見られた記憶がある。坪井忠二のものとか、科学随筆が好きだった。
 ところで、中野は文学関係者からは低く見られているようで、中野を高く評価する文学者は少ないようである。高田里惠子などは、その「文学部をめぐる病い」で中野を柄谷行人の批評を引用してこきおろしている。しかし、柄谷や高田は人を感動させる文章を書いたことがあるのだろうか。中野のおかげで、私は多くのことを知った。中野の「清貧の思想」で本阿弥光悦のことなど初めて知った。それだけでも中野に深く感謝している。作家の好き嫌いは、音楽の演奏家の好き嫌いのようなもので、気にしなければいいのだろうが、偉そうに言う評論家は嫌いである。
 中野の本の中では、半自伝的小説の「鳥屋の日々」、「雪降る年よ」、「麦熟るる日に」の三部作(河出文庫におさめられている)が、柄谷が何と言おうと、名作である。ここに書かれていることは、貧しい大工の息子の青春時代の記録だが、おそらく事実に近いだけ迫力があり、胸に迫るものがある。中野は私の父と同世代であるが、当時の若者の置かれていた状況、例えば軍事教練を受けていた若者の気持ちなどは、この種の本からでないと実感できない。戦前の日本には今にない良さがいくつもあるが、また、今では耐えられないような酷いこともいくつもあったことがわかる。戦後はアメリカの教育のおかげで、社会全体が洗練されてきたと思うが、狭い了見や陰湿な嫉妬というものは、今なお日本社会に残っているいやなものである。
 「ハラスのいた日々」の本の中に「ハラス捜索願い」の新聞折り込み広告写真があって、中野の自宅住所がわかる。それを手がかりに、一度妻の運転する車で中野の自宅の前まで行ったことがある。今でも鎌倉に行く途中の高速道路の表示で、「洋光台」の表示を目にするたびに、その自宅の前まで行った日のことを思い出す。