中島みゆき(7月)
2018年7月27日
小 澤 英 明
中島みゆきを好きな中高年男性は多い。ある人が -まだ40歳になるかならないかの若い人だったが- 5年前に不慮の死をとげた。突出した才能のある人で、人柄を知る多くの人が悲しんだ。その人のカラオケの熱唱を教え子がスマホにおさめたものを聞いたことがある。中島みゆきの「命の別名」だった。音程がずれて上手とはお世辞にも言えないものだったが(難曲だから誰が歌ってもそうなるのだが)、それがきっかけで、中島みゆきを聞き始めた。世間的に有名になった曲は私もいくつか知っていたつもりだったが、この曲ははじめて聞いたものだった。いつしか車の中で聞く曲が中島みゆきばかりになって、私も一人前のファンになっていった。
中島みゆきの曲の中でどれが一番好きかと聞かれても迷う。何しろ、長年にわたって厖大な楽曲をつくりだしており、私の車の中でも500曲くらいは聞くことができる。誰かが既に通し番号をつけているかもしれない。好きな曲は、その時、その時の気分で変わる。曲によってもちろん出来不出来があると思うが、「夜曲」など聞くとしみじみいい曲だと思う。「あなたにあてて 私はいつも 歌っているのよ いつまでも 悲しい歌も 愛しい歌も みんなあなたのことを歌っているのよ・・・」、この歌詞もいいが、曲も声もいい。深く優しい日本の女性を感じさせる曲だと思う。
一昨年、「企業不動産法」の初版原稿をまとめあげていた頃、ふと、中島みゆきの「包帯のような嘘をみやぶる・・・」という「世情」の一節が浮かんできて、本の記述の中に紛れ込ませてみた。不動産の危機管理に関して、「関与者は嘘をつきたくなるし、包帯のような嘘を見破ることは困難だからである。」と書いたのだった。ひょっとすると、中島みゆきファンの読者が、この本歌取りを見破ってくれるのではないかと期待もしていたが、出版して1年近くたって、古くから親しいYさんからメールをいただいた。「これは、間違っていたら申し訳ないですが、中島みゆきの『世情』の一節ではないでしょうか。」と。ついに見破ってくれた人が現れた!うれしくなり、Yさんと久しぶりにお会いして旧交をあたためたことだった。
実は、5年前まで私は中島みゆきの家のすぐ近くに住んでいた。近所の皆さんは知っていたが、もちろん、皆さんそれを広言はしない。こういうたしなみがあるところが東京のよいところである。私は会ったことはないが、妻は、当時飼っていた黒ラブの夕方の散歩のときに複数回お見かけしたようである。妹さんと一緒に高齢のお母様をお世話されていたようである。白いモダンな家だった。今でも私は当時自分が住んでいた家の近くの歯科医院に通っているのだが、その折に、その白い建物のそばを歩くことがある。仕事が終わって通院しているので、通るのはいつも夜で、通るたびになぜか心が洗われるような気がする。