「不要不急」顧問早水輝好

コラム第8回

不要不急

2021年2月16日
早 水 輝 好

 再発令された緊急事態宣言が延長され、ようやく新規の感染者数は減ってきたものの、まだ重症者が多く安心できない状況である。飲食店の夜間営業の時間短縮が要請され、当初は夜間の外出自粛が呼びかけられたが、昼間は大丈夫というメッセージにならないようにと、今は昼間も含めて不要不急の外出を控えるよう呼びかけられている。
 昨年の流行語大賞にはノミネートされなかったが、「不要不急」は「3密」とともにコロナ対策の用語として随分重要な位置を占めていたと思う。「不要不急」の外出やその他の行動を控えることによって経済が大打撃を受けたことを思えば、大賞レベルの影響度だったといえる。
 私も以前は宮仕えの身だったので、お上から言われたら守らなければいけないと、仕事はほぼ在宅勤務にして、必要な買い物と運動不足解消のためのウォーキング以外の外出は控えていたつもりだったが、ある日、駅の近くでいくつか思いついた買い物をして家に帰ったら、そうやってふらふら歩くのは密を高める「不要不急」の外出だと家内に怒られた。言われてみれば当初の目的になかった買い物は確かに不要不急だったかもしれないが、いかに「不要不急」が人によって、また考え方によって変わるのかを改めて認識した。だから、最初の緊急事態宣言の時に比べて今回は「不要不急」の判断基準が緩くなり、繁華街の混雑度が上がっているのではないかと思う。
 それにしても、経済がこんなにも人々の「不要不急」な活動で成り立っているとは、こんな事態にならなければ思いもよらないことだった。旅行や宴会の激減で旅行会社や飲食店が打撃を受け、私の行きつけのお店も一時休業してしまった。演劇・芸能関係やスポーツなどはその存在意義まで問われることになった。
 しかし、そうやって「不要不急」を断念して生活すると、財布の中のお金は減らなくなるが、その分、心が満たされなくなる。「不要不急」なことで経済が回っているだけでなく、人間らしい生活も支えられているのではないかと思えてくる。確かに、毎日を生活していくだけなら、食料品と必要な生活用品や医薬品、電気・ガス・水道といったライフラインさえあれば何とかなる。じゃあそういうお店や宅配業者と、それらを供給する第一次産業・第二次産業だけで成立する世の中で我々は幸せなのだろうか?文化やスポーツ、旅行や外食を楽しむのはそんなに贅沢なことなのだろうか?芸能人やスポーツ選手は、贅沢な社会でしか存在してはいけないのだろうか?
 このもやもやした状況を少し解説してくれた記事が昨年12月26日の朝日新聞に掲載された。佐伯啓思・京都大学名誉教授の「コロナ禍で見えたものは」という寄稿である。佐伯先生によると、「必要なもの」と「不要なもの」の間に「大事なもの」があるはずで、その例として、「信頼できる人間関係、安心できる場所、地域の生活空間、なじみの店、医療や介護の体制、公共交通、大切や書物や音楽、安心できる街路、四季の風景、澄んだ大気、大切な思い出」が挙げられていた。これらは市場で取引され、利潤原理で評価できるものではないが、われわれは、物事にはすべて適切なサイズや程度があり、無限の拡大がよいわけではない、という当然の考えを忘れてしまって、不要不急の拡大にエネルギーを注いで経済を維持しようとし、その結果「大事なもの」を随分と失い、傷つけてきたのではなかろうか、というご意見だった。
 私たちの生活にとって大切なもの、「必要火急」ではないかもしれないが「不要不急」でもないものは確かにある。それを求めることは贅沢でも何でもなく、人間として生きていくことである。そう思うと、少し心が落ち着く。
 「大事なもの」の中には、ある程度の「不要不急」は入ってくるのかもしれない。例えば、私が退職後に始めたいくつかの習い事のうち、コロナのために場所がなくなったり感染リスクを考えてやめたものもあったが、ピアノのレッスンだけは継続した。密室に先生と45分間いるのだからお互いに濃厚接触者になる可能性があるが、1つぐらいは文化的な活動を残したかったのである。また、昨年のコロナ禍が始まる少し前に結婚(入籍)した長男は、延期していた結婚式を親兄弟だけ呼んで3月にやると決めた。結婚してしまえば「式」は本来不要不急なものではあるが、やはり本人たちにとっては重要なことであり、その中で折り合いをつけて形式と時期を選択したのだろう。
 思えば、昔に比べて海外旅行にも簡単に行けるようになり、スポーツ観戦やコンサートなどにも気軽に足を運べるようになった。これらが全部「不要不急」と言われてしまうのは悲しいが、我々の欲望も増えすぎたかもしれない。海外にばかり目を向けなくても身の回りにもっと訪れるべき場所があるのではないか。派手な結婚式をしなくても二人にとって記念になればいいのではないか。それに、これから人口減少社会になる日本で、もう少し経済が小さくても回っていくようにしないと、「不要不急バブル」を無理して維持していかないといけなくなるのではないか。
 そういう長期的なことも考えながら、短期的には何とか感染リスクを抑えながら経済も回る工夫をしなくてはいけないが、あの一時休業した小さな酒場を支援する手立てはあまり思いつかない。せめて近所で店頭販売しているお弁当をたまに購入して、地元のお店にはささやなか貢献をしていこうと思っている今日この頃である。
 ウォーキングコースの1つである三鷹駅横の電車庫(車両基地)をまたぐ跨線橋(昭和4年に作られたもので、太宰治もよく訪れたとか)からは、天気が良ければ富士山が見える。特に夕焼けの中の富士山は美しく、もやもやした気分も晴れる。たぶん富士山は「日本人にとって大事なもの」なのだろうと思う。

三鷹電車庫跨線橋からの富士山