「三鷹」顧問早水輝好

コラム第3回

三鷹

2020年6月16日
早   水  輝   好

 1985年(昭和60年)に結婚して学芸大学の下宿から引っ越した先は、築20年以上で2Kの古くて狭い練馬の官舎だった。その後、外国勤務を経て杉並の官舎に移ったが、ここも古くて天井が裂けてきたこともあり、また子供が大きくなって手狭になったので、2003年(平成15年)に三鷹に引っ越した。
 三鷹を選んだ理由はいくつかあるが、その1つは通勤の便である。中央線が通るだけでなく、総武線や地下鉄東西線直通電車の始発であり、荻窪で丸ノ内線に乗り換えれば座れる上に混雑する新宿を通過して霞ヶ関に通勤できるのが魅力だった。また、駅の南口から延びる商店街が学芸大学を思わせ、東西と南北に道が走る住宅街が、斜めの道が多い東京より故郷の岐阜を思わせたのも、気に入ったところだった。
 三鷹駅は実は市の北端にあり、北口に出ると武蔵野市になる。三鷹市の北部は東から京王井の頭線、中央線、西武多摩川線に概ね囲まれているが、南東部は京王線つつじヶ丘駅付近まで、南西部は調布飛行場付近まで延びている一方で、市役所がある市の中央部には調布市が食い込んでいて、ちょうどトルコやパキスタンの国旗に見られる、三日月というかクロワッサンのような格好をしている。
 三鷹は学芸大学の「鷹番」と同様、江戸時代の鷹場だったところに名前を発すると言われている。駅の南側の連雀地区は「振り袖火事」の時に神田連雀町から移り住んだ人たちが暮らしたところであり、その西側の井口地区を通過するバスの表示に「井口新田経由」とあるように、新田開発も盛んに行われたようである。
 連雀地区は比較的平坦で、「東西・南北の道」というよりは、新田開発の名残りからか南北に長い道が走る中に時々東西の道が入るという、「あみだくじ」のようなつくりである。畑や保全緑地もまだ多く、軒先農産物販売所があちこちにある。そこを越えて南に行くと山あり谷ありとなり、南西部の国立天文台、国際基督教大学がある大沢地区やその外側の市境の野川公園、南側の調布市に入ってしまうが神代植物公園や深大寺付近は武蔵野の自然がたくさん残っている。
 このように緑の多い三鷹市も、東京近郊地域のご多分に漏れず少しずつ畑や保全緑地が減って宅地やアパートが増えてきている。畑がなくなって宅地ができるたびに「おばあちゃんが亡くなって相続の関係らしい」というような話が伝わってくる。相続税の支払いのために土地を切り売りしたということである。保育園や老人介護施設も作られているので、今の時代このような土地利用の変化はやむを得ないかもしれないが、住居専用地域で建ぺい率が40%に設定されていても、建物以外の60%が緑地になる保証はない。相続税の仕組みには詳しくないが、緑地保全と全く関係ない要因で都市近郊の貴重な緑地が減っていくのであれば残念であり、何とかならないかと思う。
 三鷹駅の南側の商店街は、土曜の夕方と休日の午後は歩行者天国になり、学芸大学と同じように活気があるが、デパートのような中核となる大規模商業施設はない。学生時代に都会のシンボルだと思っていたCDショップもなく、以前は南口にあったTSUTAYAも再開発で撤退し、駅の北側か吉祥寺に出なくてはいけない。結局何か必要な時は隣の吉祥寺に行くことになる。
 昨年、駅南地区の再開発で駅からのデッキに直結するビルができたので、魅力的なお店がはいることを期待したのだが、駅から出てすぐに見えるお店はよくあるチェーンカフェになり、大きな看板が出たのは百均ショップ、郵便局に保険屋さん、それに医者という、住宅地三鷹ならではのラインアップだった。しかも、1階のお店は全部外向きの配置で、2階以上のお店に行くためのビルの出入り口は駅の側にしかなく、「通過」ができない。駅前の商業ビルは行きがけ・帰りがけに買い物をしつつ通り抜けできるところに意味があるのに、どうしてこういう設計になったのか、謎である。駅南地区にあと1つ残っている商業ビルの再開発計画に期待するしかない。
 三鷹市最大の観光地は井の頭公園だろうが、半分は武蔵野市だし、駅も吉祥寺の方が近い。ただ、その一角にある「三鷹の森ジブリ美術館」は三鷹市側であり、そこに行くためのネコバスの絵が描かれたミニバスも三鷹駅から出ている。コロナ禍の前はこのバスに乗る外国人観光客が結構目立っていた。他には山本有三記念館、森鴎外と太宰治のお墓がある禅林寺など、文豪にちなんだ場所が多い。国立天文台には一般向けに開放されている施設があり、年に1度の公開イベントもあって、元天文部の私にとっては楽しい場所である。引っ越し後に、初志貫徹して天文学科に進んだ天文部の仲間と20年ぶりに再会することができた。
 市内の桜の名所も筆頭は井の頭公園だと思うが、駅の南側の玉川上水沿いの桜並木もきれいだった。残念ながら木の老齢化が進んで最近は少し勢いがなくなり、むしろ駅の西側から南に向かう幹線道路の三鷹通りの市役所付近が、両側から道の真ん中にせり出してくる桜並木となってきれいである。今年の花見もStay homeで結局三鷹通りですませた。
 三鷹に引っ越して17年がたち、あと少しで岐阜での生活期間を超えることになる。魅力的なお店は吉祥寺にまかせるしかないが、東京の大いなる田舎・三鷹は残りの人生を過ごすには悪くない場所だと思っている。岐阜には申し訳ないが、ふるさと納税はしないで、地方税はこのまま三鷹市に払っていこうと思う。

三鷹通りの桜