「チャタムハウス」
2019年1月24日
鷺 坂 長 美
2008年の夏から1年間、英国の王立国際問題研究所の客員研究員として派遣されました。研究所は18世紀中ごろの英国政治を主導したウィリアム・ピット(通称大ピット)が執務を執った建物にありますが、初代のチャタム伯爵ということもあり、研究所のことを「チャタムハウス」と言っています。「チャタムハウスルール」でも有名です。
研究所では毎日多くの会議やセミナー、シンポジウムが開催されていています。多くのものは公開ですが、政治的で時の世界情勢からセンシティブな内容のものについては「チャタムハウスルール」が適用されます。これは、会議等で得られた情報を参加者が活用したいときには、情報の発信者の身元や所属について明らかにしてはいけない、というものです。参加者が自由な発言ができるような雰囲気をつくるとともに、そこで議論された内容については広く情報発信できるように、ということです。
チャタムハウスは1919年、第一次世界大戦後のパリ講和会議でその設立について提唱され1920年に設立されています。英国が外交面で世界をリードできるような研究所をということだったと聞きます。1923年には今の建物に移り、1926年には国王であるジョージ5世より勅許を得て、王立という称号を用いています。
研究所で開催される会議やシンポジウムは世界の政治課題や経済問題まで幅広い題材について行われていますが、感心したのは、ヨーロッパ大陸の方が多いのですが、国際色豊かに多くの国々の研究員、NGOの専門家等が参加しているということです。そして、単なる研究や分析にとどまらずどうも実際の外交政策立案に資しているということです。当時、気候変動問題で京都議定書以降の枠組みを決めようというCOP15がデンマークで開催されることになっていましたが、 議長予定のデンマークのヘデゴー環境大臣を囲んで、各国の立場等の分析のみならずCOP15のもって行き方等についての議論も行われていました。民間の研究員やNGOの専門家等ととてもフランクに対応されているのが印象的で、大臣との距離の近さにも驚きました。ヨーロッパでは民間の研究員やNGOの専門家がよく政府機関の職員になるという話を聞きましたが、そうしたことも関係しているのか、とも思いました。
チャタムハウスにいるときに英国の気候変動問題を扱う部署の変更がありました。環境・食糧・農村地域省(DEFRA)から気候変動関係の部署を切り離し、エネルギー関係部門と統合し、エネルギー気候変動省(DECC)という組織が設立されました。日本で役所の一部を切り離して新しい役所を設立するといったら、各方面から様々な議論が噴出して大騒ぎになりそうなものですが、英国では淡々と事務が進められていくのが新鮮でした。所属する公務員や関係者の帰属意識が日本とはかなり違うのかなと、組織の一員や関係者という前にその仕事の担当者またはその関係者ということかなと思ったものでした。
気候変動部門は、現在のメイ首相になってから経済産業部門に統合され、ビジネス・エネルギー産業戦略省(BEIS)に移っています。日本からみると地球規模の課題であり、英国はこれまで熱心に取り組んでいたことから、気候変動対策に遅れがでるのでは、と心配されます。杞憂ならいいのですが。
(チャタムハウスの玄関 ロンドンのSt. James’s Square 10にあります。)