ダッタン人の踊り(2020年9月)
2020年9月1日
小 澤 英 明
ロシアのイーゴリ公が中央アジアまで遠征し戦いに負け、ポロヴィツ人(ダッタン人)の捕虜になる。それを不憫に思ったポロヴィッツ人の将軍が開いた宴会で流れるのがこの曲で、ポロヴィツ人の美女が曲に合わせて躍る。「おい、飲まないか。」、「いや、結構だ。」みたいなやりとりが聞こえそうなシーンの前で、踊りが繰り広げられる。この曲は、ボロディンによって書かれたオペラ「イーゴリ公」の第2幕にあるのだが、ウィキペディアによると、中世ロシアの叙事詩「イーゴリ遠征物語」を題材にしたもので、1185年にイーゴリ公による遊牧民族ポロヴェツ人に対する遠征を描いたものである。
最近は、YouTubeのおかげで、このオペラの有名な「ダッタン人の踊り」のシーンをいくつも映像付きで見ることができる。映像も音楽も非常に美しい。音楽が美しいのはいくらでも大きな声で言えるが、映像が美しいと賛美するのは小声の方がいいのだろうか。踊り子が、多分、男を喜ばせるために、なまめかしく踊っているのだが、これを美しいと絶賛していいのだろうか。ダメだとの声がどこからか聞こえてくるような気もする。そんな場面は、男尊女卑の最たる場面じゃないか、と指摘されてもおかしくない。その場面を、このうえなく美しいものに出会ったように絶賛していいのか。
マア、ソンナニオカタクオカンガエニナラナクテモケッコウデスノヨ。イマヤ、ホストクラブダッテアルワケダシ、オバサンダッテ、ワカイオンナノコダッテ、ワカイイケメンノホソマッチョガスキナノデ、ゼーンゼンモンダイアリマセン。ダレガ、ハラガデタブヨブヨオトコノシラガアタマノ、イヤ、ハゲアタマノ、シワクチャガオノブオトコヲスキニナルモンデスカ。ニンゲンノホンノウノママニイキナサイ。ナマメカシクオドッテ、オトコヲヒキツケルコトガデキルナンテ、スゴイジャナイデスカ。ソノサイノウガアルヒトナンテスクナインダカラ。シャガイトリシマリヤクニナルコトヨリモヨホドムズカシイノヨ。
真面目に考えていたら、つい眠くなって、眠っていたみたいで、夢の中で、美女がささやいてくれたようだ。
ところで、コロナ問題のせいで演劇界は壊滅的打撃を被っている。音楽界もそうである。日本には寄付の文化が根付いていないので、このままだと、これらの活動は息の根を止められかねない。税金に頼ることが困難なのは、政府から支援しようとすると、公平とか平等とかが問題になるからである。「なぜ、当A劇団には支援がないのか。なぜ、あのB劇団に支援があるのか。不公平だ。」と批判が出る。これは、多分答えることができない問題である。しかし、もし、支援が寄付でなされているとすれば、「君のA劇団の演劇はつまらないから、B劇団に寄付することにしたよ。」という説明で十分である。お金持ちに眼力があるわけでもないが、選ばれないことにあきらめはつくはずである。ただ、寄付の文化が根付いていない中で、寄付を集めろというだけでは無理である。文化活動全般に寄付をしやすいように、一定期間を限定してもいいから、文化活動への寄付金については、広く税額から控除できる仕組みを導入したらどうかと思う。多額の寄付金が文化活動に流れるはずである。