コロナ禍の日常 -11月の土曜日-(2020年12月)
2020年12月1日
小 澤 英 明
11月の東京は気持ちのいい晴れの日が続く。自宅のピンクのサザンカの生垣も見ごろである。土曜日、月1回の城南住宅組合の理事会(マスク着用にて開催)が昼前に終わったので、好天気に誘われて、妻とそばでも食べに行くかということになった。私は長崎県出身なので東京に出てくるまで、そばは年越しそばくらいしか食したことがなかったが(長崎県は完全にうどん圏だから)、妻が青森県出身で、そばに目がない。ネット検索して池袋までの途中の駅で下車して数分のところに評判のいいそば屋を発見した。
天気のいい土曜の昼間にのんびりと電車に乗るのも気持ちがいい。そば屋はレベルが高かった。10割そばでここまで、のどごしのよい上品なそばは食べたことがなかった。セイロの他に、セットで温かいニシンそばもついた。そもそも長崎県ではニシンは食卓に上らない。ニシンそばは、司法修習生時代に先輩弁護士に連れられて秩父だったか長瀞だったかで食べたのが最初で、案外おいしいものだなと思った記憶がある。その後もほとんど食べたことはなかったのだが、久しぶりに食べると、ニシンそばというものが、一つの定番となっていることが分かる。店の中は、席が適度に離されていて密を避ける工夫がされていた。カウンター席もゆったりと椅子が配置されていた。満足して外に出る。
池袋まで歩こうということになった。散歩はマスクなしでいいのではと思ったが、すれ違う人が全員マスクをしているので、マスクを装着した。途中、マンガミュージアム(写真参照)があった。漫画家を多く輩出したトキワ荘を忠実に再築し再現したものである。予約制だが、予約なしで入れた。昭和を感じさせる。小学校のころ、親にマンガを買ってもらえず、友人T君の家で「丸出だめ夫」などゲラゲラ笑って読んでいたことを思いだした。
池袋まで歩いてから、ジュンク堂で買い物をして、電車で帰宅した。多く歩いたので軽く夕食をすませて仮眠。午後9時からのZoom飲み会に備えた。ラ・サール時代の友人がこのところ、1、2か月に一度パソコンを介して飲んでいる。今回は7人も参加した。3人が九州、1人が関西、3人が東京である。九州も関西も医者である。東京の3人は、一人は大学の生物学の先生(K君)、一人はもと国家公務員、もう一人が私。今回は、K君のスペイン出張報告があった。K君は、帰国後2週間の自宅待機中である。パワポで用意してくれていた画像が鮮明で、これがなかなかいい。なぜ、このコロナの荒れ狂う時期にスペインに行ったのかだが、それはK君の実験装置がスペインの巨大実験場に設置され、その実験場でその装置をK君が動かさないと、共同研究の実験ができないからということだった。乗り継ぎのフランクフルト空港の閑散とした様子、ガラガラの機内、人通りのない町の様子など何もかも想像どおりだった。ひととおり報告が終わったあと、話は身近な各自のコロナの話題に移る。鹿児島のI君は医院4代目で、地域の人たちから頼りにされているので、コロナの疑いのある患者さんにはPCR検査を行っている。どれだけ注意をして防御服に身を包んで対応しているのか身振り手振りで話してくれる。防御服を脱ぐ仕草がおもしろく、誰からか「もう一回、やって!」と中学時代からの友人でなければできないリクエストが飛んだ。