アメリカの固定資産税
2021年2月22日
鷺 坂 長 美
前回のコラムで書いた土地評価の均衡化・適正化の作業を旧自治省の固定資産税課で行っていた頃のことです。上司から「日本の固定資産税のモデルとなったアメリカの固定資産税を見てきては」というお話しがありました。アメリカといっても広いので、どこへ視察に行ったらと迷いましたが、時間的余裕もなく、とりあえず、東部、中部、西部で一か所程度視察することとしました。アメリカの固定資産税は、Property Taxですので財産税と訳されることもありますが、一般的に州政府で制度設計をし、その下部団体であるカウンティや市や学校区等が課税団体です。訪問先には、カリフォルニア州、イリノイ州クックカウンティ、マサチューセッツ州、ニューヨーク市、その他連邦の機関として政府間関係諮問委員会、国際評価人協会等を選びました。1992年の3月のことです。
連邦国家であるアメリカでは連邦の事務と州以下の団体の事務が明確に分かれています。州の制度は州政府が独自に設計するので、州によっては制度が大きく異なります。ここが日本と違うところです。日本でも地方分権の推進ということで住民に身近な事務は自治体の固有事務で、と進めてきましたが、基本となる行政制度は、地方の固有事務といえども法律による枠組み等があり、自治体によってそれほど大きな違いがないのが実情です。特に税制度はそうです。アメリカの課税現場を見て州自体が国家である、united statesであることがよくわかったように思いました。面談したどの担当官も「あそこの州ではこうでしたが・・」と質問してもあまり理解してもらえず、州によって制度が異なるのは当たり前という感じでした。
課税の対象も異なります。カリフォルニア州ではいわゆる動産も課税対象ですが、イリノイ州では対象外です。ミシガン湖沿いにあるためヨットの所有者が多く、1960年に州議会で議決したとのことでした。また、資産の評価の方法もいろいろでした。特に注目されたのはカリフォルニア州です。納税者の反乱という言葉で日本でも有名でしたが州憲法修正の住民発案、プロポジション13による影響です。日本では住民が条例等の制定改廃を求めようとすれば、地方団体の長に請求し、あとは議会の判断ということになりますが、カリフォルニア州などでは住民が条文を作成してその可否を住民投票で決められるという制度があり、プロポジション13はその年の13番目の住民発案ということです。一般的には税額が毎年毎年増大しないように一定(時価の1%)のキャップをはめたものと説明されますが、一番驚きでしたのが、不動産の評価方法です。基本は1975年3月1日の価格に最大毎年2%の調整額を加味して評価し、1975年以降に取得された不動産は取得時の価格にそれ以後毎年2%の調整額を加味して評価するという点でした。当時カリフォルニア州では毎年の不動産価格が上昇していたこともあり、1975年以降にカリフォルニアに移ってきた人は、人によってはそれ以前の住民の税額に比べて何倍という税金が課されていたといわれます。
日本で税制を考えるとき、公平性というのを一番大切に考えます。納税者がある程度納得しないと税制が成り立たないからです。そういった意味でいずれこの条項は変えざるを得ないのではと思っていました。しかしどうでしょう。視察後、1992年6月に連邦最高裁の判決が出ます。この裁判は、プロポジション13を受けたカリフォルニア州憲法が連邦憲法の平等保護条項に違反するとして争われていたものでしたが「合理的施策に基づく区分的取扱いは平等保護条項に違反しない」として、州には広範な裁量権があり、新住民は既存住民と同様に保護される必要はない、としました。新住民はその不動産を購入するかどうか事前に判断できるから、ということのようです。アメリカでは地域間の住民の流動性が高いとよく耳にしますが、こういったところにも反映しているのか、と思ったものでした。
地方分権の徹底ということでは政府機関についても印象深いものがありました。政府間関係諮問委員会(Advisory Commission on Intergovernmental Relations)です。この委員会は1959年に連邦議会に設けられた独立委員会ですが、連邦政府と地方政府の関係や地方政府に関わる社会的課題等を取り上げ、勧告したりする機関でした。担当官からは、地方政府にとってアメリカの固定資産税がいかに重要かを、熱く語っていただきました。しかし、視察後になりますが、1996年にこの機関は廃止されました。連邦の立場と地方政府の立場の両方を代弁するのは矛盾すると考えられたからとも言いますが、地方政府間の調整などどうするのか、など当時大変疑問に思ったものでした。
ニューヨーク市へ訪問した後、当事務所の代表である小澤英明さんのお宅で泊めてもらいました。すき焼きの美味しかったことが一番の思い出です。