都市プランナーの雑読記 その91
三浦 展『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』光文社新書、2022.08
2025年1月31日
大 村 謙二郎
郊外住宅地開発をライフワークの一つとしている三浦展さんの新書。古書店からのカタログで昭和期に出された、数多くの不動産業者による郊外住宅地の売り出しチラシが紹介、出品されていたとのこと。これを見た、三浦は全てとは言わないが、神奈川県を中心とした売り出しチラシを入手して、その当時の不動産広告の雰囲気を追体験し、さらに、その売り出された住宅地は現在どうなっているのかを現地調査を行い、さらに関連資料、論文などにあたりながら、戦前、戦後30年代、40年代ぐらいまでの名もなき、郊外住宅地の盛衰を描く作業をまとめたものが本書だ。目の付け所がユニークで、さらにそれを取材行動に活かそうとする行動力、企画力が秀逸だ。
彼もあとがきで断っているように、いまはなくなった不動産業者が多く、また、正確な資料も不十分であり、関係者も物故した中で、それぞれの住宅地の来歴を学術的に明らかにするのは無理である。その点で、本書で紹介されている住宅地も、間取り情報や都市計画的な情報が不十分であるが、それは次の研究者に委ねるとしている。まっとうな論理だ。
ネットマガジンで連載していたコラムを基にしたものであり、各章の記述は比較的短いし、掘り下げも不足した箇所もある。それでも、戦前、戦後に活躍した大島土地建物という不動産業者がいて、東京郊外の多くの住宅地開発に携わったこと、住宅営団が戦争末期に多くの住宅地開発に関わり、その、住宅地割がまだ残っている様子など、興味深い話が示されている。郊外住宅地研究者に対する大変示唆深い、在野の研究者、社会学者の大きな貢献の書といえる。
本書は序章を含め、4部、20章構成だ。各章は短い。
序章では、戦前、戦後期の住宅地販売では詐欺まがいの商法が横行していたこと、正確な不動産情報の記載のないまま、客を案内する手口、おとり商法などもあったことが説明されている。一方で90年代にはいってのバブル崩壊まで、一貫して土地価格が上昇し、土地神話が戦前、戦後の日本社会に深く根付いたことなども記されている。また、同潤会とその後続組織である住宅営団が戦前、戦後に大きな遺産として各地に残っていたことも記している。三浦さんも紹介しているが昭和30年代の森繁久彌の映画で、駅前シリーズというのあったが、その中に駅前不動産という映画あり、高度成長期の中小不動産業の生態が面白おかしく描かれていたようだ。
第1部は「昭和の住宅チラシの町に行ってみた」と題して、主として神奈川県下のチラシで取り上げられた住宅地を探訪する形のルポを8章にわたって紹介している。取り上げてるのは、上大岡(刑務所・花街・同潤会・営団で発展)、旭区、瀬谷区(三菱重工などの社宅街)、保土ケ谷区(斎藤茂吉がイタリアのようだと評した町)、日吉・菊名・大倉山(東急のモデルタウン)、川崎北部(地主白井家の尽力)、多摩区多摩美・麻生区岡上(スプロール開発)、大宮・浦和(氷川学園台を探索)の住宅地でほとんど知らなかった住宅地が探訪され紹介されている。
第2部は「昭和20~30年代4大不動産」と題して、いまは知られることがないが、往時は旺盛な不動産販売を行った不動産会社4社の活動を3章にわたって紹介している。小口分譲と大文化衛生都市建設構想を打ち上げた、大島芳春率いる大島土地。チラシ広告の先駆者で国分寺を中心に活躍した郊外土地。活動期間は短かったが派手な動きをした神田土地建物、そして日本不動産の4社が紹介されている。なお、大島不動産創業者の大島芳春の孫にあたり、現在、リフォームまちづくりで活躍している建築家の大島芳彦氏へのインタビューが掲載されている。
第3部は「幻の戦時国際組織 住宅営団の町」と題して、住宅営団のゆかりの住宅地が紹介されている。まず、住宅営団とはどういった組織であるかが説明され(12章)、その後、各地が紹介されている。戦争中に住宅営団がつくった「故郷」としての、蕨市三和町。野坂昭如の父、野坂相如が考えた「新しい都市」相模原。職工向け住宅地としての川崎・古市場。風致地区につくられた団地である、千葉・船橋・市川。戦前からの開発と「盆栽村」とのゆかりを持つ大宮・日進の各地区である。
第4部は「まだまだあった田園都市」と題して、戦前期に田園都市を目指した動きがいろいろな郊外住宅地にあったことを3地区紹介している。まず、戦前・戦後・現在と続く田園都市構想が残っている柏。次いで、「東京の中央」を目指した大和市の中央林間。工場地帯に京都風高級住宅地開発を目指した運河沿いの町、川崎住宅地の3地区だ。
以上、私にとっては知ることが少なかった郊外住宅地の経緯と現在が記されており、大変興味深い読み物であった。三浦さんのフットワークの軽さ、徹底的な調査に感嘆する。