5月の庭 (2025年5月)
2025年5月12日
小 澤 英 明
5月の庭は緑が急にこんもりとしてきて、緑の中に埋もれそうになる(写真参照)。緑の量が特に多いのは枝垂れ桜で、すごいことになってきた。もともと前主の方が、杏、ヤマモモ、金木犀、カルミア(金平糖のようは花が咲く)、石楠花、サルスベリ、ツツジ、沙羅の木など所狭しと植えていて、余白もないのに、私が追い討ちするように、梅や椿まで植えてしまって、これらが大きく育ってきた。どれもこれも新緑は美しい。椿の葉は特に美しいものが多い。菱唐糸(ヒシカライト:京都の名花)、津川絞(ツガワシボリ: 新潟の名花)、通い鳥(カヨイドリ: 江戸椿の名花)などの椿は、花もとても美しいが、ライトグリーンのつやつやとした新緑の葉がまた美しい。4月が終わると椿の花も終わり、その他の木々の花も多くは終わる。ただ、バラは5月が季節である。
最近、園芸店に出かけていないが、それは、新たな草花を植えるスペースがほぼないからである。もっとも、雑草が繁茂している一画は、雑草さえ取ればまだ草花を植えられる。しかし、その一画に繁茂している雑草はスギナで、これがタチが悪い。地中に根を張り巡らしているので、抜くのが大変である。これにやられたら根を取りきれず、終わりだみたいな嘆きのブログもあり、やる気が失せる。ゴールデンウィークに孫たちに、「ああ楽しかった、ガーデニングは、なんて楽しいんだろう。」と雑草取りを仕向けようとしたが、さすがに小学校4年生になった孫は騙せず、ガーデニングという名の雑草取りには見向きもしてくれなかった。トムソーヤのペンキ塗りみたいにうまくはいかなかったのである。人に趣味を聞かれると、ガーデニングと答えることにしている。嘘でもないけれど、その道の先達に比べるとお遊びみたいなことしかやっていない。今は、夏と冬の年二回庭師さんに庭に入ってもらっているので、何とか格好がついているが、とても自分だけでは対応できない。庭師さんは、雑草とりの技術においても練達のプロであり、いつもどうしてこんなにきれいに雑草をとれるのだろうと感心する。
50歳の頃、田舎暮らしをしてみたいと思ったことがある。その頃の夢は、広い果樹園を持つことだった。梨、桃、蜜柑、葡萄、栗とか。玉村豊男さんの「田園の快楽」(写真参照)という本を読んで、葡萄園にワイナリーを持つなんて理想だなと思ったことがある。久しぶりに本棚から引っ張り出してみる。1999年初版第17刷発行とある。当時、田園生活への憧れが多くの人にあったことがわかる。この3月に上田市にお住まいの方と話す機会があったので、お隣の東御市の玉村さんのレストランのことを聞いてみた。今でも多くの人で賑わっているとのことだった。私の親しいGさんは、定年を迎えて北杜市に別荘を購入され、東京と二拠点居住を始められた。その別荘を前に訪ねたことがある。Gさんは農業問題の研究者であり、農作業について頭ではよく理解されているのだが、趣味的に始められた葡萄栽培の難しさを語っておられた。葡萄は病気になりやすく、栽培はとても大変だとのことだった。
セミプロのGさんにしてこのご苦労である。週末に思い出したように庭に出る私などは、庭でおままごとのようなお遊びに戯れるのが関の山である。それでも平和な日本でガーデニングを楽しめるというのは、この上なく幸せなことのように思える。アゲハが飛んでくるとそれだけでうれしくなる。
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