「都市プランナーの雑読記-その27/齋藤希史『漢文脈と近代日本』」顧問大村謙二郎

齋藤希史『漢文脈と近代日本』角川ソフィア文庫、2014

2021年5月26日
大 村 謙 二 郎

 森鴎外や永井荷風の小説、エッセイ等を読むと明治の人は漢文の素養があったと思います。夏目漱石はまだ読めるのですが、鴎外の歴史物だと漢字が多く、漢語的表現が多く、なかなか読めないなという感想を持ちます。
 昔、興味があって久米邦武編「特命全権大使米欧回覧実記」(岩波文庫)のドイツ、イギリス、パリのあたりを読みましたが、ちゃんと理解できたかおぼつかないところがありましたが、リズム感のある漢語的表現に惹かれたこともたしかです。
 漢文、漢詩などは中高時代に習った程度であり、全く素養がありませんが、それでも漢詩のいくつかの表現には惹かれるものがあり、時折、漢文、漢詩を解説した新書、文庫を読む程度です。
 著者の齋藤さんは1963年生まれの方で、東大総合文化研究科の教授(比較文学比較文化)です。
 前書きにあるように、この本は近代日本のことばの空間を漢文脈という視点から考えることを主眼としています。
 漢文脈とは、漢文だけでなく、たとえば漢字仮名交じりの訓読体など、漢文から派生した文体、さらに文体だけでなく、漢文的な思考や感覚も含めて漢が主要とのことです。
 本書では近世後期、近代日本でどのように漢文が拡がり、漢文と訓読が分離することによって、近代日本の国民の文体がいかに確立されたかなどについて、多くの中国、日本の作家の詩作、文章などを引用しながら解き明かしています。漢文、漢詩の中にある対語的表現、論理の組み立て方が今でも日本の現代文章に影響が出ているのだなと知って蒙を啓かれました。また、漢文世界が確立する中で、公に使われる政治の文章、機能性の文章と私に使われる詩文、文学、精神性の世界に分かれていったこと、それが明治の世界にも反映したことなどいろいろ教えられました。
 漢文脈の世界が現代にも連なっている例として著者は最後に「趣味と教養」についてあげています。履歴書にはよく「趣味」の欄があり、定型的に読書と音楽鑑賞という書き方をするが、この場合の趣味は私的世界における、個人の趣味を示していることになります。一方、教養としての読書、音楽というとき、社会的存在として、あるいは公的存在としての自分を表現するものとして教養の読書という表現があるのだと分析しています。
 漢文脈が作りだした、二項的(必ずしも対立を含んでいるわけではない)世界の思考パターンの影響を受けているのではと指摘しています。そういう見方もあるのだなと思わせられました。
 すらすら読める本ではなかったですが、味わい深い本でした。