「都市プランナーの雑読記-その24/ピエール・バイヤール(大浦康介訳)『読んでない本について堂々と語る方法』」顧問大村謙二郎

ピエール・バイヤール/大浦康介訳『読んでない本について堂々と語る方法』筑摩書房、2008.11

2021年4月13日
大 村 謙 二 郎

 ふとした偶然で、面白そうと手に取った本です。バイヤールさんはパリ第八大学教授で精神分析家とか。
 題名に惑わされてはなりませんが、ハウツーものではなく、本を読むと言うことはどういうことなのか、本を読んだとはどういうことなのかを考えさせてくれる本です。
 私などもそうですが、本は読まなければいけないとか義務感、強迫観念にかられたりするのですが、そんなに本に権威、恐れを感じる必要などはないということを、フランスの人らしいエスプリの効いた論理で展開されます。

 この人があげている本に関する略号がまたユニークです。

<未> ぜんぜん読んだことのない本
<流> ざっと読んだ<流し読みをした>ことがある本
<聞> 人から聞いたことがある本
<忘> 読んだことがあるが忘れてしまった本
 ◎  とても良いと思った
 ◯  良いと思った
 ✕  ダメだと思った
 ✕✕ ぜんぜんダメだと思った

 バイヤールさんのリストにはちゃんと、精読した本はないのだそうです。
 私などもちゃんと読んだかと言われると自信がないし、わが家の書架、仕事場の本棚にも読んでいない本が大量に存在しているし、学会誌などもほとんど読まないか、ちょっと気になる記事、論説を斜め読み、スキップ読み程度で、ある種の罪悪感を持っていたのですが。
 バイヤールさんに言わせれば、それは余計な心配だし、本を読む形態は物理的に本を最初のページから、最後まで読むだけでなく、新聞の書評でも、あるいは広告記事でもあるいは書棚の背表紙を読むだけでも読書につながるし、もともと、読書はその本の一字一句を覚えるわけでもないし、内容を自分なりに翻案し、誤解し、咀嚼し、自分の血肉になるものだというものです。自分の読書空間と他人の読書空間は、一部は重なるとしても、異なっていることが前提という議論です。
 というような内容紹介もこれまた、バイヤールのこの本を読んだことになっていないのかもしれません。
 三部構成で、各部が4章よりなっています。
Ⅰ  未読の段階:読んでいないにもいろいろあってという未読のタイプに応じたお話し
Ⅱ    どんな状況でコメントするか
    彼も大学の教師ですし、到底その分野の人ならば読んでいるのが当然となる本を読んでないことに
    直面したときの論理をこれまた面白おかしく、場面毎に展開
Ⅲ   心構え
   ・気後れしない、・自分の考えを押しつける、・本をでっち上げる、・自分自身について語る

  <流>の本も引用しながら、いろいろ独自の説を展開しています。夏目漱石の「猫」や「草枕」を的確に引用しており、この人の<流>はどうなっているのだろうと、驚かされます。彼の諧謔、高等戦術にはまりそうです。
 いずれにせよ、面白く、あらためて、読書って何だろうと覚醒されました。積ん読本に罪悪感を持たないようにしたいです。