「洲之内徹」

洲之内徹(10月)

 画商でもあり絵の評論家でもあり作家でもある。1913年松山市生まれで、「左翼運動に参加して東京美術学校建築科中退」とある。したがって、その活躍していた時代は、私がまだ子供であって、洲之内徹を知ったのは、1987年の没後に新潮文庫で「絵の中の散歩」を読んだ時からである。手元の文庫を見ると平成10年発行なので、買ったのは20年くらい前のことである。私が一番忙しかった頃かと思う。この人の文章は魅力のあるもので、秋の夜長に布団をかぶって読むのにこれほどふさわしい本はない。
 どこが魅力的かというと、絵との出会いをさまざまに文章にしているのだが、私小説的で、その生き方が私のように型にはまった人間にはうらやましいのである。そんな状態で、大丈夫だったの?と心配になる生活で、奥さんや子供には相当に迷惑をかけた人だと思う。「貧乏眼鏡」の一編など読むのもつらい。ただ、絵に対するいちずな気持ちは、どの文章からも感じられる。また、昔の銀座はこうだったんだとか、昭和の日本を描いてこれ以上のものはないのではと思わせる筆力がある。家族を住まわせていた川崎市の公害の描写も短いがすごい。没後、その人気が高まって、いわゆる「気まぐれ美術館」シリーズが6巻出ている。
 最初にこの人の魅力を知ったのは、「絵の中の散歩」の文庫本を読んだときであるが、その口絵に海老原喜之助「ポアソニエール」(魚売りの少女という意味のよう)の美しい若い女性の絵がのせられている。肩の力の抜けたさらっとした絵である。「ポアソニエール」を洲之内はやっとの思いで購入できるのであるが、そのときの鎌倉の雨の描写がすばらしい。
 フェルメールに「真珠の耳飾りの少女」(別名「青いターバンの少女」)という有名な絵がある。私が司法修習生になった昭和53年の頃は、前期修習に上野の西洋美術館の先生が湯島の司法研修所に来られて、西洋の名だたる名画をスライドで紹介される授業があった。その中に、この絵があった。今やフェルメールを知らなければ笑われるが、当時はフェルメールって誰?といった反応が普通だった。そのスライドに私はひどく反応して、弁護士になった年に、渋谷の宮益坂の画材を売る店で、フェルメールのこの絵の複製を注文したのだった。その絵のターバンの青も美しいが、「ポアソニエール」は、背景も魚も服もすべて青で、青の使い方がすばらしい。これは洲之内コレクションのある宮城県美術館で実物を見ることができる。

海老原喜之助「ポアソニエール」