「法律書の賞味期限」

法律書の賞味期限(2019年11月)

 世田谷の家から練馬の家に6年ほど前に引っ越した。その時に不要だと思う本を処分することにした。不要だと思った本は、法律書や経済書が多く、他は読んでみて自分の好みではないとわかった様々なジャンルのものである。狙いを定めて、池袋のある古書店にもちこんだのだが、一目見て、法律書や経済書は引き取れません、とニベもなかった。それは当然である。時間がたてば魅力がなくなり、売れないからである。少しは引き取ってもらえるかと思っていた自分が浅はかで、その他の本も引き取ってもらえず、すべて自宅前にゴミとして出すことになった。すると、自転車で徘徊している人がいて、本の山から相当な冊数を抜いていったが、そこでも見向きもされなかったのが法律書や経済書だった。
 最近は本の売れなさ加減がハンパナイらしい。しかも論文調の法律の本は売れ行きが極端に悪いらしい。多くの出版社は、長く読み続けられる良書など期待していないように思われる。足が速いからか、スタートダッシュで売れるかどうかが品定めの基準になっているようである。確かに、法律書で長く読み続けられる良書とは一体何なんだと正面から聞かれると、答えに窮する。私が困ったときに参考にしたもので、一番多かったのは、我妻栄の民法講義シリーズだったように思う。我妻栄は我々の世代ではもはや何の接触ももてなかった民法の大家であるが、民法講義シリーズは、単に判例を紹介するだけでなく、判例のない論点についても頭を使って書いてあるから参考になったのである。それでもヒントが得られなければ、梅謙次郎の民法要義シリーズを見た。梅謙次郎は民法典の起草者である。困ったときに自然と読みたくなる。
 法律の本で、古くてもしばしば参考にするのは、逐条解説である。逐条解説は書いてみるとわかるが(私は「土壌汚染対策法」で書いてみたことがある。)、相当に大変な作業である。条文に正面から向き合うので、逃げられない。著者による出来不出来はあるが、解説しないわけにはいかないので、自然に内容の豊かなものになる。特に、立法に関与した官庁の担当者が作成する逐条解説はありがたいものである。解説の対象となる条文が明確であるから、その後に法令改正があっても十分に役に立つ。改正前の考え方がわからなければ、改正後の条文も適切には解釈できないからである。
 アメリカに留学していたときに、アメリカの法律書は、常にいつの時点での解説なのかを意識しており、法令や判例が変わって、記述を変更しなければならない場合は、本のsupplementを販売することがあることを知った(写真参照)。日本の伝統的な加除式は本格的なアップデートのやり方だが、今や電子版でsupplementを手軽に販売してもいいのではないかと思う。適切でなくなった記述が変更できずに流通することは著者にとっても心苦しいことである。このように、法律の本の多くは常にアップデートをしなければ、価値を維持できないものだが、その点、文学作品は違う。執筆時点の社会を背景にしているとは言っても、人間の本性が変わるわけもないので、時代をいくら経ても面白いからである。

 

(アメリカの法律書とsupplement)