「有用性と有害性」顧問早水輝好

有用性と有害性

2020年9月28日
早 水 輝 好

 農薬の安全性を危惧する意見は根強いが、「農薬は『薬』なので、安全に使えば問題はないが使い方を間違えると悪影響が出ることもあるということだ」という農薬関係者の話を聞いたことがある。確かに薬は用法を間違うと死に至ることすらある。注意しないと有用性が有害性に転じる、ということである。
 化学物質の有用性と有用性は裏腹の関係であることが少なくない。例えば、前回のコラムで、ハチへの影響が懸念されているネオニコチノイド系農薬の話に触れたが、この農薬は「兼業農家の友」だそうである。一度撒くと長持ちするので散布するのが楽だということらしい。ところが、「長持ちする」ということは環境に残留してハチやトンボに影響を及ぼす可能性を高めている、ということになる。「長持ちする」という利点が有害性を助長してしまっているのである。
 「分解しない」「安定している」という性質は通常は化学物質の利点の一つである。冷媒に使われたフロンや、絶縁油や熱媒体など多様な用途に使われたPCBが代表的な例である。しかし、フロンは分解しないが故に成層圏でオゾン層破壊の原因物質となり、PCBは難分解性に加え、生物に蓄積しやすく慢性毒性もあって、地球規模で環境に残留して人や生物に悪影響を及ぼすおそれがあることから、どちらも国際条約でこれ以上の製造・使用が禁じられるに至った。
 身近なところでは洗剤(界面活性剤)も有用性と有害性を裏腹に併せ持つ製品である。界面活性作用を利用して油汚れを落とすのに使うのだから、それが肌荒れの原因になったり、水生生物が川の中で界面活性剤に取り囲まれたら悪影響が出たりしそうだということは容易に推測できる。幸い、最近の界面活性剤は下水道や環境中で分解しやすいものが多いのでPCBのような問題にはならないが、使いすぎないに越したことはない。
 有用性と有害性の評価が極端に振れた事例の一つがアスベスト(石綿)である。今、日本で健康影響の観点から最も気をつけなければいけない大気汚染は、アスベストが使われていた建物の解体に伴うものであろう。中皮腫という特有の悪性腫瘍や肺がんを20~30年もたってから引き起こす、たちの悪い物質である。しかしもともとは防火用に使われていて、皆さんの中には(私も含めて)石綿の台で理科実験をした記憶をお持ちの方は多いのではないか(飛散しなければ問題ないのでご心配なく)。アスベストのために大きな火事を免れた家もかなりあったと思われるが、残念ながらそのような「過去の栄光」が感謝されることはもはやないだろう。
 そしてプラスチックである。プラスチックのおかげで衛生面が向上し、金属やガラスを代替して軽くなったり高機能なものになったり、便利なことこの上ない。しかし「分解しない」性質があだとなって海洋に蓄積し続けることになる。有害性がはっきりしていなくても、予防的に考えればなるべく排出を減らすべきだが、タイヤのゴムくずや化繊くずがマイクロプラスチックとして海で見つかっている、と言われても、だってタイヤって摩耗してブレーキをかけるのがお仕事でしょ?と言いたくなる。プラスチックの使用を減らせ、という議論が多い中で、「悪いのはプラスチックではない。プラスチック廃棄物だ。」と途上国の廃棄物管理の強化の方が重要だとする意見があるのもわかるような気がする。プラスチックの無駄な利用や使い捨ては減らすべきだが、コロナ禍の中でテイクアウト用や医療用にワンウェイのプラスチックの利用が増えるのはその性質上必然である。有用なプラスチックを有害な廃棄物に変えないためにどういう対策を講じるのが効果的か、よくよく考えていく必要がある。
 化学物質ではないが、自動車も有用性と有害性が共存する典型的なものではないかと思う。人間は自動車さえ運転しなければ他の人を殺してしまう確率は(意図的な殺人を除けば)ほぼゼロである。「人を殺したくない」という理由で、私はずっと運転免許をとらなかった。フランスに赴任したときにやむなく現地で取得したが、帰国してからは一度も運転せず、ゴールド免許のペーパードライバーになっている。しかし、自動車は危険だから禁止すべきだという意見は聞いたことがない。運転をプロの運転者だけにまかせて一般の人による自家用車の運転を禁止すればおそらく交通事故死もかなり減ると思われるが、そういう議論すらない。日本にとって自動車産業は欠かせないし、人間生活や経済活動にとって自動車はなくてはならないものになってしまっているからであろう。人を殺すリスクがあって発がん物質(ベンゼン)を含む大気汚染物質を排出していても、せいぜい安全性を高めようとか低公害車を普及させようとかするだけで、もっと生産や使用を減らしましょうということにはならないのである。自動車産業の関係者には怒られそうだが、私は自動車は「麻薬」のようなものだ、と思っている。
 人間は、一定の有害性があっても、時にはそれに目をつぶって、あるいはそれをなるべく減らす努力をして、有用性を活用することにより、便利で快適な生活を得てきた。逆に言えば、有用性の陰で、必ずなにがしかの害が人間や生物に出ている、あるいはその可能性があることを忘れてはならないと思う。そしてそれを減らす努力を続けなければならない。それが「他者への、自然への思いやり」ではないだろうか。
 今回の議論に合う適当な写真がなかったが、せっかくなので1枚入れる。この夏に玄関先で見かけたナナフシである。こういう生き物がいることを知識としては知っていたが、実物を見たのは生まれて初めてだった。こんな不思議な生き物を見ると、益虫なのか害虫なのか知らないけれど、とにかく絶滅させちゃだめでしょ、と思いませんか?

玄関先で見かけたナナフシ