「日本文化デザイン会議」

2020年6月2日
鷺  坂  長  美

日本文化デザイン会議

 大分県庁の地域振興課長時代、印象に残った仕事として「日本文化デザイン会議」の開催にかかわったことがあります。この会議は、1979年のアメリカのアスペン国際デザイン会議に出席したメンバーにより、日本でも「異分野文化の交流の精神を継承し、21世紀をグランドデザインする」というコンセプトで1980年に設立された会議です。哲学者の梅原猛氏を代表に建築家の黒川紀章氏、美術史学者の高階秀爾氏、グラフィックデザイナーの粟津潔氏、作家の草柳大蔵氏、評論家の山本七平氏、科学史家の吉田光邦氏などいずれも日本を代表する錚々たる方々100名程度がメンバーになっていました。1980年に第1回会議を横浜で開催し、多くのシンポジウムやセッションを設け開催地の文化を取り入れつつ異分野の文化交流から発信していこうというものです。
 私がかかわったのは1985年の会議です。課長に就任する前に既に開催地は決定していて、少々異例でしたが「日本文化デザイン会議九州」ということで大分市、別府市、熊本市をメイン会場にして4日間の会議が開催されました。当時、大分では一村一品運動、熊本では日本一運動という地域づくりの運動を展開していたことも関係していたかもしれません。事前準備ということで代表の梅原猛氏を案内したり、また、大分側の議長である堺屋太一氏を熊本までお迎えに行ったことがありましたが、礼を失することがないか、など本当に冷や汗ものでした。こういった方々と接するだけで大変啓発されたものです。また、草柳大蔵氏とも食事をする機会がありましたが、日本国内にとどまらないお話しをお伺いするにつけ世の中には考えられないぐらい頭の良い人がいるものだと感心したりしていました。
 会議には地元の実行委員会として青年会議所のメンバーが全面的に参画しました。メイン会場が離れていることもあり、当時ではまだ珍しかったテレビ会議方式のシンポジウムをしたり、大分駅から熊本駅まで列車を走らせ、車内シンポジウムをするなど会議の目玉づくりが多々行われました。映画の宮崎駿さんのシンポジウムもありました、映画「風の谷のナウシカ」上映後のシンポだったかと思いますが、会場における小学生たちのいきいきとした様子は印象的でした。
 一番大変だと思ったのはその前夜祭兼開会式です。大分市にある府内城公園で開催しましたが、全国から多くの著名人が集まるということでしたので、一村一品運動をよく知ってもらおうと、一村一品シンボルマークコンテストを行い、その表彰式も行いました。また、開会式の乾杯はもちろん焼酎ですが、別府の竹細工工房にお願いして、竹製の器で行いました。するとなにか摘みもいるのでは、ということで屋台を出すことになりましたが、保健所の許可が必要です。そして一番神経を使ったのが、前衛的な舞踏集団である白虎社に舞踏を披露してもらうことになったことでした。まず野外ですので、天候が気になります。雨ではどうにもなりません。次に県庁が関係していますので、県民からどのような反応が返ってくるか、という点もありました。ただ、メンバーの方々との打ち合わせでいろいろお話しを聞けば、舞踏に対する考えなど本当にプロ集団だという印象を持ち、少々インパクトのある開会式でもいいのかな、などと思った覚えがあります。
 霞が関のビルで働いているだけでは得られない貴重な経験でした。