「今年の夏」弁護士小澤英明

今年の夏(2021年9月)

2021年9月2日
小  澤 英  明

 モデルナワクチンの2回目が効いた。2日目から39度の熱が出て、3日目も解熱剤ではごまかせず、夕方には再び38度5分に達した。4日目でやっと平熱に戻った。この間、実にいやな夢を見た。自宅に帰ろうとしてタクシーをひろったら、中に有名な死刑囚の女性Yと、男性二人(うち一人は運転手)がいた。これはとんでもないタクシーにのってしまったと悔やんでいたら、さいわいにも、運転手が車の調子がおかしいと、車を止めた。そこで、私が「あとは歩いて帰るから、ここでおろして。」と頼んで、そこまでの代金(1000円札に硬貨が少しの金額)を運転手に渡したところ、Yが、「悪いから、1000円でいいよ。」と言って、硬貨を返してくれたのだった。この3人と早く別れたい一心で私は振り返りもせずにその場から立ち去った。自宅の場所を知られずによかったと、ほっとした。
 回復した翌日の夢は、打って変わって、いい夢だった。どこかで私が講演している夢だった。法律の講演は経験があるが、どうもそこで私が頼まれたものは、文化的なことをテーマにしたもののようだった。話の途中、明るい庭を窓越しに眺めて、誰かが朝食をとっている情景が急に目の前に現れてきた。そこで、私が「確か、アメリカの詩だったと思いますが、 ―明るい庭を眺めて食事ができる幸せ、ほかに人生に一体何がいるだろう― という一節がありますね。」とかなんとか気障なことを言ったのだった。聞いていた人たちがうなずいて、笑顔を返してくれた。これは、夢の情景自体が美しく、どうしてこんないい夢を見たのか理由がわからなかった。そんなアメリカの詩を読んだこともない。いや、読んだのかな、しかし、思い当たるものがない。
 ただ、この3か月ほど、ときどきギッシング(1857-1903)の「ヘンリ・ライクロフトの私記」という本を読んでいて、この本を読んで受ける雰囲気が、どことなくこの夢の雰囲気と似ているので、この本に感化された可能性もある。ギッシングは、イギリスの作家である。この本は、独身の初老(50歳)の男が、遺産が転がり込んだので、田舎に引っ込み、悠々自適の生活を送り、その日々をつづるという設定で書かれている。ギッシングは46歳の時に肺炎で死んでおり、生涯、悠々自適の生活とは無縁だったので、空想の産物である。この作品は、死の前年あたりから少しずつ発表されていたようであるが、死を意識して書いたものではなさそうである。しかし、ライクロフトという人物に仮託して、「もう、誰に遠慮することもないので、日頃、感じたり考えたりしていることを書き綴っています。」という書きぶりで、ギッシングの最後の作品としてまことにふさわしいものになっている。
 今年の夏は異常な天候が続いた。7月の中旬からじりじりとやけに暑い日が続いたかと思うと、8月の中旬には、復活した梅雨前線のような、または、フライングした秋雨前線のような、東西に長い前線が日本列島に停滞して、大雨が全国に甚大な被害をもたらした。河川の氾濫もあった。かつての建設省の役人は、堤防が決壊すると切腹ものといった責任を感じたようだが、今は誰もそうは思わない。予報はずいぶん正確になったが、「これまでに経験したことがない」大雨が毎年降る。