インタビュー 小澤英明 (Part2)

今回も前回に引き続いて岩瀬香奈子さんにインタビュアーになっていただいて、弁護士小澤英明にインタビューをしていただきました。

岩瀬:本日は、先生の土壌汚染についての取組についてお話しをうかがおうと思います。最初に土壌汚染について関心を持たれたのはどういうきっかけからでしょうか。

小澤:もう20年以上前のことです。平成10年より少し前のことですが、私が30代の終わりの頃、ある外資系会社の本社ビルと配送センター建設のプロジェクトに関与しました。案件を受任したのは西村眞田法律事務所の先輩弁護士でしたが、不動産の案件でしたので私が主として担当しました。しかし、巨額のプロジェクトでしたので、アメリカの大手法律事務所の米国人弁護士がずっと私と共同で対応してくれました。その案件処理で学んだことはいくつもあるのですが、一番驚いたのは、土壌汚染に対する過敏とでもいうべきアメリカ本社の反応でした。と言いますのは、配送センターの第一候補地は市川でした。ロケーション抜群で、日本の関係者の間ではここだよねと意見の一致する土地でした。しかし、アメリカ本社から土壌汚染は大丈夫かと問い合わせがありまして、その外資系会社が自ら費用負担をして土壌汚染の調査をしました。すると、ある地点から土壌汚染環境基準をわずかに超える汚染が見つかったのです。

岩瀬:その当時は売買時に土壌汚染の調査はしないのが普通だったのでしょうか。

小澤:売買契約時に土壌汚染の調査をすることはほとんどなかったと思います。ただ、土壌汚染に関する環境基準は平成3年に公表されていましたし、地方公共団体が土地を取得する際に土壌汚染のおそれがあれば、調査を行うこともありました。しかし、一般にはほとんどしていませんでした。

岩瀬:それでどういうことになったのですか。

小澤:その件は、汚染の場所も限定されていましたし、汚染の原因もおおよそ推定されました。そこで、私はてっきり、その問題の土壌を除去して、その土地を買うものだとばかり思っていたのですが、そのアメリカ本社から、「土壌汚染が見つかったのなら、その土地は買うな。」と指示が来ました。調査費用もかなりの金額をその外資系会社が負担していましたし、何よりも、それほどの汚染ではないのに、また、対策も打てるのになぜ買わないんだと、私は驚きました。結局、買ったのは東京の西の方の第二候補地でした。当時既にアメリカではスーパーファンド法のせいで企業が土壌汚染に非常に敏感になっているということは聞いて知っていたのですが、これほどまでなのかと驚いたしだいです。

岩瀬:その頃は土壌汚染に関する規制法は日本にはなかったのですか。

小澤:日本の水質汚濁防止法や廃棄物処理法ができたのは昭和45年頃です。それ以前は、工場敷地に廃水をたれ流すといったことも、廃棄物を埋めるといったことも数多くあったのです。昭和45年頃から、公害法規がしだいに整備されて、新たな土壌汚染を生み出すことがないように法律が整備されてきました。しかし、既に汚染されてしまった土地の土壌汚染に着目した土地利用規制や土壌汚染対策の命令等を内容とする法規制はありませんでした。

岩瀬:そこで、売買の時にも特段神経質ではなかったというわけですね。

小澤:そのとおりです。平成14年に土壌汚染対策法ができて、それからですね。急速に土壌汚染に敏感になったのは。ただ、それ以前の平成10年頃から外資系ファンドによる日本の土地の買い漁りが激しくなって、先日お話しましたように土壌汚染に関する表明保証をさかんに求めてくるようになりました。そこで、土壌汚染の判定や対策の基準がないとどうにもならないということにもなって、法律ができました。そのような経過ですから、平成10年頃からしだいに日本の大手企業間の取引では土壌汚染が意識されだしたと言えると思います。

岩瀬:土壌汚染対策法ができてすぐに「土壌汚染対策法」という本を出されたのですね。

小澤:平成14年の終わり頃に政令も省令も出そろったので、平成15年のお正月に9連休を使って、それまでに少しずつためていた原稿をもとに一気に書き上げました。3月に出版したら、ほぼ同時期に私の本を含めて弁護士による土壌汚染対策法の解説本が三冊出版されたことには驚きましたね。同じことを考える人は3人はいるのだなと。

岩瀬:めざとい人が3人いると(笑い)。

小澤:それぞれに土壌汚染に興味を持ったきっかけは違うのでしょうが、その頃は既に政府の審議会や委員会の議事録は詳細なものが公表されていましたので、勉強する気になれば、本を書くことはそう難しくはなくなっていたんですね。

岩瀬:その後、お仕事でも土壌汚染の依頼は相当に多いのですか。

小澤:そうですね。最高裁平成22年6月1日判決の事件は、土壌汚染を扱った最高裁の最初の判決として有名ですし、民法の瑕疵担保責任の重要判決として教科書にものっていますので、この事件だけ少しお話ししますと、私は、この事件の売主の訴訟代理人弁護士でした。その事件ではフッ素による土壌汚染が問題になりました。東京地裁で勝訴、東京高裁で逆転敗訴、最高裁で再び逆転して勝訴となりました。東京高裁で敗訴したときは目の前が真っ暗になりました。予想していなかったので。売買が平成3年で、引渡しは平成4年です。その当時はフッ素は土壌汚染に係る環境基準でも有害物質としては定められていませんでした。しかし、その後知見の変化があり、有害物質に定められたのですが、その事件でのフッ素汚染の判明はさらにそのあとでした。瑕疵か否かは契約時に双方が想定していた契約に適合的か否かの問題であるということを最高裁が明確にして、勝つことができたのですが、東京高裁判決をもらった日の夜は悔しくて眠れませんでした。その敗訴で火がついて、上告理由書の作成に闘志がわきました。実質的には有名な大学の先生お二人からいただいた意見書が大きな力となりましたが、私はやはり訴訟が好きなんだと実感しました。

岩瀬:負けず嫌いというんですか。

小澤:それもありますね。それもありますが、訴訟は、論点が定まってと言いますが、審理が進むとどんどん論点がしぼられてきて、本当に重要な点で議論ができるので好きなんです。

岩瀬:その後、平成22年に「土壌汚染対策法と民事責任」という本を出されましたね。

小澤:はい。平成21年に土壌汚染対策法の大きな改正がありまして、これに対応する必要が出てきて改訂しました。しかも、その間、土壌汚染に関する取引紛争も多発しまして、裁判例もある程度出てきました。そこで、それらの裁判例を分析することも必要だと思って、その分析を加えた本にしました。したがって、タイトルも「土壌汚染対策法と民事責任」に変更したものです。

岩瀬:土壌汚染の紛争にはどういう特徴があるのですか。

小澤:やはり取引に関する紛争が圧倒的に多いです。土壌汚染による健康被害の有無が問題となるような紛争は稀です。その意味で、瑕疵担保責任が主たる問題です。ただ、土壌汚染も、土壌汚染対策法の特定有害物質だけでなく、油汚染もしばしば問題になります。また、昨年森友問題で有名になりました廃棄物混じり土の問題もあり、これらは、純粋の土壌汚染の問題とは少し異なった検討が必要です。土壌汚染が判明すると、徹底的な汚染除去を買主が行う場合が多いため、巨額の紛争になるという特徴もあります。

岩瀬:土壌汚染の紛争や法律相談は当分続きそうですか。

小澤:はい。先ほど申し上げましたように、昭和45年より前の土壌汚染にはさまざまなものがありまして、そのうちこれまで表面化したものはわずかだろうと思います。まだまだ眠っている土壌汚染はたくさんあるだろうと思います。その意味で、今後もかなり長い間続くのではないかと思います。

岩瀬:本日は土壌汚染について先生がどういう経緯で興味をもたれたのかをお聞きできて大変興味深く思いました。ありがとうございました。

小澤:こちらこそありがとうございました。